イノベント
日本展示会協会は、1967年に発足し、2013年に一般社団法人格を取得。現在では、会員数は280を超え、展示会主催者、展示会場、展示会支援企業の三者で構成される日本最大級の展示会業界団体です。
この度、弊社 取締役代表執行役社長の堀が、2025年6月10日付で前年度に引き続き、一般社団法人 日本展示会協会の会長に就任いたしました。
『開かれた日本展示会協会』という活動指針を示し、業界内連携や次世代・若手の活動支援など、業界の活性化のための施策をこれまで以上に推し進めて参ります。
一般社団法人 日本展示会協会 公式ホームページ:https://www.nittenkyo.ne.jp/
<堀 正人 略歴>
神奈川県生まれ
1983年より日系および外資系広告会社に勤務、20年以上にわたりアジア地域の事業統括責任者としてクライアントのブランド管理、海外拠点の経営管理を執行
2010年 株式会社イノベント(旧トレードショーオーガナイザーズ株式会社)入社
2011年 株式会社イノベント 取締役代表執行役社長(現職)
日本展示会協会では2011年より理事。広報委員長、MICE推進委員長などを歴任
2024年1月 会長
2025年6月 会長再任(令和7~8年度)
【会社概要】
会社名:株式会社イノベント
代表者:代表取締役会長 田中 洋行
取締役代表執行役社長 堀 正人
所在地:東京都港区南青山3-1-31 KD南青山ビル2F
TEL:03-6812-9421
FAX:03-5413-8830
URL:https://innovent.co.jp/
事業内容:見本市(展示会)の主催、企画、運営業務、各種イベントの企画制作、事務局運営代行、運営管理業務
【主催展示会スケジュール(2025‐2026年)】
2025年7月9日(水)~11日(金) Aichi Sky Expo(愛知県国際展示場)
―AGTS農業展
2025年9月25日(木)・26日(金) 東京ビッグサイト
― FOOD STYLE JAPAN<東京>/ラーメン産業展 in Japan
2025年10月8日(水)・9日(木) マリンメッセ福岡
― 第2回 [九州]半導体産業展/第1回 [九州]次世代物流展
2025年10月29日(水)・30日(木) Aichi Sky Expo(愛知県国際展示場)
― FOOD STYLE JAPAN<中部>
2025年10月30日(木)・31日(金) インテックス大阪
― 住まい・建築・不動産の総合展【BREX関西】/第5回 デジタル化・DX推進展【ODEX】大阪会場
2025年11月7日(金)・8日(土) 東京都立産業貿易センター 浜松町館
―第5回 インターナショナルジョブフェア東京(International Job Fair Tokyo 2025)
2025年11月19日(水)・20日(木) マリンメッセ福岡
― FOOD STYLE JAPAN<九州>
2026年1月28日(水)・29日(木) インテックス大阪
― FOOD STYLE JAPAN<関西>/ラーメン産業展 in Kansai
2026年2月25日(水)・26日(木) 沖縄コンベンションセンター
―FOOD STYLE JAPAN<沖縄>
2026年5月13日(水)~15日(金) 東京ビッグサイト
― 住まい・建築・不動産の総合展【BREX】/第6回 デジタル化・DX推進展【ODEX】東京会場/
第2回 人材不足・人手不足 対策EXPO【PEREX】
2026年6月3日(水)・4日(木) マリンメッセ福岡
― 九州イノベーションWEEK
企業プレスリリース詳細へ
PR TIMESトップへ
新着記事

木のように自然に溶け込む「擬木」。伊藤健史さんに伺う古今東西の“木を模す”技術
公園などへ行くと、柵や階段、東屋に、コンクリートやプラスチック等で自然の木を模した「擬木」が使われているのを目にすることがある。ライター・伊藤健史さんは、長年擬木の鑑賞を続けている。

田沼意次ゆかりの地・静岡県牧之原市相良で、幕府の財政を好転させた名君の足跡をたどる。大河ドラマ『べらぼう』ゆかりの地を歩く【其の六】
ひと昔前の教科書では、田沼意次(たぬまおきつぐ)は“賄賂政治”という言葉と対になって記述されていた。だが大河ドラマ『べらぼう』では、近年見直されてきた改革者としての田沼像に寄せていると思われる。しかも演じているのが渡辺謙なので、切れ者感が半端ない。田沼意次は16歳の時、のちに九代将軍となる徳川家重の小姓となり、父の遺跡600石を継いでいる。家重が将軍職に就くと、意次も江戸城本丸に仕えるようになった。それとともに順次加増され、宝暦8年(1758)には1万石を拝領、大名に取り立てられる。家重が逝去した後も、十代将軍徳川家治から厚く信頼され、出世街道を歩み続けている。そして明和4年(1767)、側近としては最高職の側用人へと出世を遂げた。加えて2万石が加増され相良(さがら)城主となり、さらに安永元年(1772)になると、遠州相良藩5万7000石を拝領し藩主となった。そして幕政を担う老中にまで昇進したのだ。わずか600石の小身旗本が5万7000石の大名になり、しかも側用人から老中になった、初めての人物だ。そんな意次の足跡が残る相良を歩いてみた。

令和の北陸大返し【後編】~長良川から利家の妻・まつ生誕の地、そして名古屋城へ、五日間の旅路踏破じゃ!~
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。我が金沢城から名古屋城まで歩く「令和の北陸大返し」、此度はついに完結編である。美濃国から名古屋まで、尾張に住む皆々には馴染みの場所を歩いて参ろう。

【東京散歩コース】銀座・有楽町・日比谷〜近代以降は商業と文化の中心地。アンテナショップも多い〜
日本屈指の繁華街である銀座。町名は、慶長17年(1612)に銀貨鋳造所・銀座ができたことに由来する。元の地名は両替町(後に新両替町)だったが、商業地としてにぎわうと、銀座と呼ばれるようになった。文化の中心地にもなり、ブランドショップが並び、近年はアンテナショップも多い。有楽町は、織田信長の弟で、茶人としても名高かった織田有楽斎(うらくさい)(長益)の屋敷があったことから有楽原(うらくばら)と呼ばれたことに由来する。日比谷公園周辺は、江戸時代に大名屋敷が並んでいた。明治時代に近代化の象徴として、各種劇場やホテルのほか、法務省赤れんが倉庫のような洋風建築が建つようになった。現在は、劇場や映画館が集まるエンターテインメントの街でもある。
おすすめするスポットやお店のメニューなど、みんなの「こりゃいいぜ!」を絶賛募集中です!!
さんたつ公式サポーター登録はこちら