株式会社セブン‐イレブン・ジャパン
株式会社セブン‐イレブン・ジャパン(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:阿久津 知洋)は、清涼感あふれるスイーツ系サンドイッチ「チョコミントサンド」を2025年7月16日(水)より期間限定で北海道内のセブン‐イレブンにて販売いたします。
北海道産天然ハッカから精製されたハッカ油を配合したクリームにチョコチップを混ぜ込みました。また、パン生地に配合したココアで風味とココア色に仕上げることで、チョコミントクリームとの彩りにもこだわりました。
すっきりとしたチョコミントの清涼感と、相性の良いココア生地の味わいの両方が感じられる暑い夏にぴったりのスイーツ系サンドイッチに仕上げました。
セブン‐イレブンはこれからも地域の嗜好を踏まえた商品や美味しさを追及した商品開発を積極的に推進してまいります。
国産天然ハッカの繁栄と衰退、そして資源維持へ
国産天然ハッカ栽培の歴史は古く、明治時代に北海道に伝来し、特に栽培に最適だった現在のオホーツク地方の北見地区周辺で昭和初期に最盛期を迎えます。ところがその後の輸入の自由化、安価な合成ハッカが開発されたことで国産天然ハッカは衰退の一途をたどります。
北見地域の名産品としての国産天然ハッカの「地域資源維持」を目的に1984年に道内唯一の「北見ハッカ工場」の閉鎖と同時に「株式会社 北見ハッカ通商」が創業されました。
今回の商品は「株式会社 北見ハッカ通商」の看板商品である「ハッカ油」を使用して開発しております。セブン‐イレブンは「株式会社 北見ハッカ通商」の取組みに賛同し今後も「ハッカ油」を使用した商品を開発し国産ハッカの資源維持に貢献してまいります。
出典:株式会社 北見ハッカ通商 公式サイト
商品概要
■チョコミントサンド
価格:398円(税込429.84円)
発売日:7月16日(水)~順次発売
販売エリア:北海道
ミント(ハッカ)を使用した、夏にぴったりの清涼感あふれるスイーツ系サンドイッチ。クリームには北海道産天然ハッカから精製されたハッカ油を配合。また、パン生地にはココアを配合することでほんのりココアの風味が感じられ、見た目にもこだわりました。
※店舗によって価格が異なる場合がございます。
※税込価格は軽減税率適用の消費税8%で表記しています。
※予定数が終了又は諸般の事情により、店舗での商品の取り扱いがなくなる場合もございます。
※店舗によって一部取り扱いがない商品や商品名・規格が異なる場合がございます。
※画像はイメージです。
※情報は現時点でのものです。最新の情報はHPをご確認ください。
企業プレスリリース詳細へ
PR TIMESトップへ
新着記事

木のように自然に溶け込む「擬木」。伊藤健史さんに伺う古今東西の“木を模す”技術
公園などへ行くと、柵や階段、東屋に、コンクリートやプラスチック等で自然の木を模した「擬木」が使われているのを目にすることがある。ライター・伊藤健史さんは、長年擬木の鑑賞を続けている。

田沼意次ゆかりの地・静岡県牧之原市相良で、幕府の財政を好転させた名君の足跡をたどる。大河ドラマ『べらぼう』ゆかりの地を歩く【其の六】
ひと昔前の教科書では、田沼意次(たぬまおきつぐ)は“賄賂政治”という言葉と対になって記述されていた。だが大河ドラマ『べらぼう』では、近年見直されてきた改革者としての田沼像に寄せていると思われる。しかも演じているのが渡辺謙なので、切れ者感が半端ない。田沼意次は16歳の時、のちに九代将軍となる徳川家重の小姓となり、父の遺跡600石を継いでいる。家重が将軍職に就くと、意次も江戸城本丸に仕えるようになった。それとともに順次加増され、宝暦8年(1758)には1万石を拝領、大名に取り立てられる。家重が逝去した後も、十代将軍徳川家治から厚く信頼され、出世街道を歩み続けている。そして明和4年(1767)、側近としては最高職の側用人へと出世を遂げた。加えて2万石が加増され相良(さがら)城主となり、さらに安永元年(1772)になると、遠州相良藩5万7000石を拝領し藩主となった。そして幕政を担う老中にまで昇進したのだ。わずか600石の小身旗本が5万7000石の大名になり、しかも側用人から老中になった、初めての人物だ。そんな意次の足跡が残る相良を歩いてみた。

令和の北陸大返し【後編】~長良川から利家の妻・まつ生誕の地、そして名古屋城へ、五日間の旅路踏破じゃ!~
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。我が金沢城から名古屋城まで歩く「令和の北陸大返し」、此度はついに完結編である。美濃国から名古屋まで、尾張に住む皆々には馴染みの場所を歩いて参ろう。

【東京散歩コース】銀座・有楽町・日比谷〜近代以降は商業と文化の中心地。アンテナショップも多い〜
日本屈指の繁華街である銀座。町名は、慶長17年(1612)に銀貨鋳造所・銀座ができたことに由来する。元の地名は両替町(後に新両替町)だったが、商業地としてにぎわうと、銀座と呼ばれるようになった。文化の中心地にもなり、ブランドショップが並び、近年はアンテナショップも多い。有楽町は、織田信長の弟で、茶人としても名高かった織田有楽斎(うらくさい)(長益)の屋敷があったことから有楽原(うらくばら)と呼ばれたことに由来する。日比谷公園周辺は、江戸時代に大名屋敷が並んでいた。明治時代に近代化の象徴として、各種劇場やホテルのほか、法務省赤れんが倉庫のような洋風建築が建つようになった。現在は、劇場や映画館が集まるエンターテインメントの街でもある。
おすすめするスポットやお店のメニューなど、みんなの「こりゃいいぜ!」を絶賛募集中です!!
さんたつ公式サポーター登録はこちら