株式会社ライフ&スポーツ
少人数制で運動の基礎を楽しく学べる「からスポ」。保護者アンケートでは、成長を実感する声や指導への高評価が多く寄せられています。皆さまの声を活かし、より魅力ある教室づくりを進めてまいります。
■ 80%以上が「運動能力が向上した」と実感
保護者に「当教室に通っていて、運動能力が向上したと実感することはありますか?」と聞いたところ、実に8割以上が「とてもそう思う」「そう思う」と回答しました。
教室では、マット運動・とび箱・鉄棒といった体操をベースに、独自のコーディネーショントレーニングを組み合わせることで、子どもの「できた!」を引き出す工夫を凝らしています。
■ 体操パートの満足度も高水準
前半に実施している体操指導については、約9割の保護者が「満足」または「やや満足」と回答。安全面に配慮した補助と、成功体験を積みやすい段階的な練習内容が高く評価されていることがわかりました。
■ 後半のオリジナルプログラムも“楽しく成長”をサポート
からスポの特徴でもある後半のコーディネーション練習についても、多くの保護者が「運動能力向上に役立っている」「楽しそうに参加している」と回答。遊びを取り入れながらも身体操作の幅を広げる構成に、満足度の高さが表れています。
■ 時間配分にも高い満足度
前半の体操と後半のプログラムの時間配分については、「適切」とする声が大多数を占めました。一部では「体操の時間をもう少し長くしてほしい」といった意見もあり、今後の参考にしてまいります。
【保護者の声】
「親が教えるのは限界があるので、プロの指導でいろいろな動きを経験できてありがたいです」
「年齢に合った練習内容なので、子どもが楽しんで続けられています」
【おわりに】
今回のアンケートを通じて、からスポが子どもたちにとって“楽しく成長できる場所”として機能していることが改めて確認できました。今後も、子どもたち一人ひとりの「できた!」の瞬間を増やすため、指導内容や環境のさらなる向上に努めてまいります。
【調査概要】
・調査期間 2025年3月25日~30日
・調査機関 自社調査
・調査対象 教室会員の保護者 20代~50代男女
・有効回答数 116件
・調査方法 インターネット調査
各校舎所在地
茗荷谷校 東京都文京区小石川5-20-17
本郷校 東京都文京区本郷5-5-14
駒込校 東京都文京区本駒込2-14-8 スペースコジマ1階
根津校 東京都文京区根津1-27-8 モンシェール根津1階
会社概要
社名 株式会社ライフ&スポーツ
設立 2016年7月
代表者名 遠藤賢二
資本金 900万円
従業員数 10名(2025年3月時点)
事業内容 「からだ機能スポーツ教室」の運営
本社所在地 東京都豊島区南大塚3-2-14 漆沢ビル2階
お問い合わせ
本件に関するお問い合わせは、以下までお願いいたします。
株式会社ライフ&スポーツ 広報担当
メール:karaspo@life-sports.co.jp
電話:03-3868-2836
企業プレスリリース詳細へ
PR TIMESトップへ
新着記事

朝ドラのモデルといわれるあんぱん発祥の店『銀座木村家』で、定番から期間限定まで食べくらべ〜黒猫スイーツ散歩 あんぱん編③〜
カフェ・スイーツ・パンケーキのお店を年間約1000店以上ぶーらぶらしているミスター黒猫です。特にパンケーキは日本一実食していると自負している黒猫が、気になる街や好きな街を散歩しておすすめのお店を紹介していきます。今回は、そんな黒猫スイーツ散歩のあんぱん編第3弾です。

木のように自然に溶け込む「擬木」。伊藤健史さんに伺う古今東西の“木を模す”技術
公園などへ行くと、柵や階段、東屋に、コンクリートやプラスチック等で自然の木を模した「擬木」が使われているのを目にすることがある。ライター・伊藤健史さんは、長年擬木の鑑賞を続けている。

田沼意次ゆかりの地・静岡県牧之原市相良で、幕府の財政を好転させた名君の足跡をたどる。大河ドラマ『べらぼう』ゆかりの地を歩く【其の六】
ひと昔前の教科書では、田沼意次(たぬまおきつぐ)は“賄賂政治”という言葉と対になって記述されていた。だが大河ドラマ『べらぼう』では、近年見直されてきた改革者としての田沼像に寄せていると思われる。しかも演じているのが渡辺謙なので、切れ者感が半端ない。田沼意次は16歳の時、のちに九代将軍となる徳川家重の小姓となり、父の遺跡600石を継いでいる。家重が将軍職に就くと、意次も江戸城本丸に仕えるようになった。それとともに順次加増され、宝暦8年(1758)には1万石を拝領、大名に取り立てられる。家重が逝去した後も、十代将軍徳川家治から厚く信頼され、出世街道を歩み続けている。そして明和4年(1767)、側近としては最高職の側用人へと出世を遂げた。加えて2万石が加増され相良(さがら)城主となり、さらに安永元年(1772)になると、遠州相良藩5万7000石を拝領し藩主となった。そして幕政を担う老中にまで昇進したのだ。わずか600石の小身旗本が5万7000石の大名になり、しかも側用人から老中になった、初めての人物だ。そんな意次の足跡が残る相良を歩いてみた。
おすすめするスポットやお店のメニューなど、みんなの「こりゃいいぜ!」を絶賛募集中です!!
さんたつ公式サポーター登録はこちら