戦国の城を攻める ~明智光秀ゆかりの城編⑥ 志賀の陣の重要拠点、宇佐山城~
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の展開が、にわかに風雲急を告げてきた。前回取り上げた金ヶ崎城からの撤退戦で九死に一生を得た信長だが、ピンチはまだまだ続いている。第一次信長包囲網、目下最大の敵は、比叡山延暦寺と、浅井・朝倉連合軍だ。1570(元亀元)年後半、「志賀の陣」。琵琶湖西岸の最前線の最重要拠点として築かれたのが宇佐山城だ。当初、この城を任されたのが森可成(よしなり)。あの森蘭丸の父で、織田家でも有数の猛将だが、城を討って出るも大軍に挟み撃ちされ戦死してしまう。その後、最前線の総大将として、宇佐山城に派遣されたのが光秀だった。金ヶ崎城での活躍など、信長にも徐々に実力を認められつつあったのだろう。期待に応えて名を挙げられるか。力及ばず敗れるか。戦国武将としての運命を決める一世一代の勝負。その現場となった山城は、いったいどんなところだったのか。光秀の心中を察すれば察するほど、城への期待感が高まる。史実では、光秀は籠城し敵の猛攻に耐え、見事に前線基地を守り切る。そして総大将・信長が大軍を率いて着陣し形勢は逆転。浅井・朝倉軍は朝廷や将軍・足利義昭を通じて信長と和議を結ぶことになる。これにて志賀の陣は終結。光秀の踏ん張りによって、織田家は大きな危機を脱したのだった。