吉玉サキ(達人)の記事一覧

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初めての母とのふたり旅で長野・浅間温泉へ。一本のエッセイに書ききれない私たちの関係
生まれて初めて、母とふたりで旅行をした。母についてはこの連載で何度か書いたが、母について書ききれたとは言えない。私と母は今でこそ仲のいい親子だが、関係が落ち着いたのはここ10年ほどのことで、幼少期からそれまでは関係が複雑に変化しつづけた。とてもじゃないけれど、一本のエッセイに書ききれるような関係ではないのだ。だから今回も書ききれるとは思えないが、この連載が続いているうちに、母との思い出を綴る回を設けたかった。それで母に「『さんたつ』の連載で書きたいから旅行に行かない?」とLINEをしたところ、快諾してくれた。私がエッセイを発表するようになった5年前から「ママのことはいくらでもネタにしていいから」と言ってくれている。そうして10月のある日、札幌に住む母が東京にやってきた。
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演劇部の部室では、息をすることができた。中学時代のあの一瞬一瞬が、今の私を形作っている
今まで何度か「やりたいことがわからない」「打ち込めることがない」という相談をされたことがある。そのたびに、なんと答えたらいいのかわからなくて言葉に詰まった。今までの人生、私は常にやりたいことや打ち込めることがあったからだ。
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「だけど、優しい人だった」。沖縄のゲストハウスで出会った、もう顔も思い出せない彼のこと
新橋の広告会社を早期退職した直後の7月、私は沖縄の那覇にいた。友人の結婚式に参列するために沖縄に来て、そのついでに1人で何日か旅行しようと思ったのだ。
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静岡『エコパアリーナ』へ急ぐ道中で生まれた、世代を越えた一体感。いくつになっても一生ものの思い出はできる
この歳になってもなお、一生ものの思い出は増える。2024年6月16日、静岡の『エコパアリーナ』へAぇ! groupのライブを観に行った。一緒に行ったのは、さとうさんという東京在住の同世代の女性だ。3月のAぇ!のイベントに私が当選した際、SNSで同行者を募集したところ、DMをくれたのがさとうさんだった。そのイベントで初めて会ったのだが、とても面白い方で意気投合し、4月には恵比寿で昼飲みをした。この歳になっても新しい友達ができるんだなぁ、とうれしく思う。
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強豪校の補欠、消去法のポジション……バレーボールに打ち込んでいた時期が今の私に残したもの
大人になって知り合った人からは「スポーツ嫌いそう」「運動が苦手そう」と言われる私だが、実は身体を動かすことが嫌いではない。それどころか、私の人生にはスポーツに打ち込んでいた時期がある。小学校4年から卒業まで、学校のバレーボールチームに所属していたのだ。
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悩んでも、妬んでも、あれが私の青春だった。札幌・西28丁目で演劇に日々を費やしていた頃
GWは大阪へ行ってきた。甥の吹奏楽部の演奏会を観に行ったのだ。ホールの分厚い扉を開けて、階段状になっている座席を見渡す。ステージを覆う緞帳(どんちょう)ははじめて見る絵柄だが、見た瞬間に蘇る記憶があった。
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あと何年会ったり、話したりできるだろう? 梅田の姉の家には、甥や姪との思い出が詰まっている
3月のとある土曜の夜、私は急ぎ足で姉の家へと向かっていた。京セラドームで大好きなAぇ! groupのイベントを楽しんだあと、姉の家に泊めてもらうことになっていたのだ。
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お茶の水・文化学院で追っていた夢を諦めた私が、今叶えたいこと
大好きなアイドルグループが念願のCDデビューを発表した。私はその発表を、5万人の観客のひとりとして京セラドームで聞いた。最年長のメンバーは29歳で芸歴15年だ。彼が最後の挨拶で涙を流しながら「夢は諦めなければ必ず叶う」と言ったとき、私はかつて夢を諦めたことを思い出していた。私も彼のように15年間諦めずに続けていれば、小説家になれたのだろうか。ドーム中に灯る赤いペンライトの光の中、私はひそかに決心した。次に夢を持つことがあったら、なにがなんでも15年は諦めないと。
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こんな私でも、遠くから会いに来てくれる人がいる。山小屋時代の友人と話して気づいたこと
1月の末、山小屋時代の友達が夫婦で遊びに来た。2人は私と同世代のカンジ(男性・仮名)とテモヤン(女性・仮名)。カンジは2015年から働いているスタッフで、テモヤンは2017年だけ働いていた。私は2人よりも先輩で、2017年を最後に山小屋を辞めた。私が山小屋を辞めてからも、2人とは交流が続いている。
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「こんなに好きになることは二度とない」。特別な存在だった彼が、幸せだったことを願った
ようやく書けそうな心境になったので書くが、昨年(2023年)の春、ある友人が癌で亡くなった。その友人・祐樹(仮名)は2歳年上で、私が17歳のとき、全身全霊で惚れた相手だ。当時は祐樹のことが好きで好きで感情がおかしくなり、恋心を通り越して彼のことを神格化していた。彼は特別な存在で、それに気づけた私もまた、彼のそばにいていい存在なのだと思い込んでいた。「こんなに好きになることは二度とない」とJ-POPの歌詞のようなことを思ったが、実際、その後はゆるやかに信頼関係を築くような恋愛が多く、あれほどまでに恋に狂ったのは祐樹が最初で最後だ(今のところ)。とは言え、それは20年以上前の話だ。喉元過ぎれば熱さを忘れるというが、祐樹に恋していた事実は覚えているものの、当時の感情はもう鮮明ではない。だからか、彼が亡くなったと聞いてもさほど痛みはなかった。ただ、彼が自分の人生に満足していたらいいな、と思った。
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