尾崎ムギ子(達人)の記事一覧

尾崎ムギ子
達人
尾崎ムギ子
ライター
1982年、東京都生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業後、リクルートメディアコミュニケーションズに入社。2008年にフリーライターとなる。著書に『最強レスラー数珠つなぎ』、『女の答えはリングにある』(イースト・プレス)がある。
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千住から神楽坂にきて気づいた。仲良くなった人との距離感が分からない。【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
週1回アルバイトしている『荒井屋酒店』の角打ちコーナーに、ある日、ファンキーなお姉さんが現れた。名前はあつこちゃん。鼻ピアスにへそ出しルック。アバンギャルドな雰囲気の彼女は、明らかに千住大橋では浮いている。美大卒でいまは洋服を作っているという経歴もまたカッコよく、初対面でも距離をぐっと縮めてくる感じは九州人ならでは。店の全員がすぐにあつこちゃんのことを大好きになってしまった。
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これからようやく、人生の本番が始まる【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
 柳澤健の『1985年のクラッシュ・ギャルズ』が、わたしのバイブルである。1980年代、女子中高生が熱狂した女子プロレスユニット「クラッシュ・ギャルズ」に関するノンフィクションだ。
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幹事が苦手なわたしが、少しだけ前に進めた日【尾崎ムギ子の転んでも、笑いたい】
生まれてこの方、幹事というものをまともにやったことがない。企画力、スケジュール管理能力、リーダーシップ、予算管理能力、柔軟性、気遣い、気配り、痒(かゆ)いところに手が届く感じ、その他諸々の幹事に必要とされる能力すべてが絶望的に欠如しているからだ。苦手なことはしないに限る。わたしは常に「参加して楽しむ役」に徹してきた。
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ハレー彗星を見て生まれた男色プロレス集団への恋心【尾崎ムギ子の転んでも、笑いたい】
25歳で脱サラして、憧れのフリーライターになった。出版社に売り込みに行くと、必ず言われた言葉がある。「得意分野はなんですか?」――。ない。ないよ……。得意分野も、書きたいジャンルも、これといった趣味もない。強いて言えば美容が好きだったため、美容雑誌に売り込みに行ったが、そこでも「得意分野は?」と聞かれ、「いや、美容なんですけど」とは言えずに俯いてしまった。なんとなく体当たり系のレポートを書くことが増え、歌ったり踊ったり、ハプニングバーに潜入したり、いろいろやった。しかし30歳を過ぎると、「こんなやり方、いつまでできるのだろうか……」という焦りが芽生えた。先輩ライターに相談したところ、「コンビニのカップスープについて書いている人いないから、狙い目だよ」と言われ、カップスープを買い漁ったこともある。しかしさすがにニッチすぎるし、好きでもなんでもなかったため、すぐにやめた。だれも書いていないからとか、そういうことじゃないのだ。自分が心底惚れ込めるなにかが、わたしはほしかった。
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EPISODE04 恋愛症候群:男性嫌悪が解消された意外なきっかけ
「南千住~千住大橋」という小さなコミュニティーで酒を飲んでいると、惚(ほ)れた腫れたの噂話が一瞬で広まる。だれがだれにお熱だとか、だれとだれがデキているとか、あいつは騙(だま)されているとか、いないとか。そういう話を聞くたびに、「怖いなあ」と思うと同時に羨(うらや)ましさも感じる。いいなあ、わたしも恋がしたい。これまでにお付き合いした男性は5人いる。5人というと、あたかもそれなりに恋愛してきたようにも聞こえるが、1人目は1カ月半。2人目も1カ月半。3人目も1カ月半。4人目は4カ月。5人目に至っては3週間。つまり、人生で合計9カ月しか交際経験がない。なぜそんなにも恋愛が短命に終わるのかと言えば、端的に申し上げて「セックスをすると相手のことが気持ち悪くなってしまう」からだ。幼少期に性的虐待を受けたとか、レイプされたとか、そういう経験は一切ない。大好きな彼とセックスをした途端、どうしようもない嫌悪感に支配され、一方的に振ってしまうのだ。3人目の彼氏に「やり捨て」と罵(ののし)られたのもしかたがないだろう。歴代の彼氏たちには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。セックスという行為自体も好きなほうではないため、できればこのまま一生セックスをせずに生きていきたいと思っている。思っていた、のだ。
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EPISODE03 陰謀論:止まらない母の備蓄癖に悩むも、強く言えないワケ
「今日から“お父さん”と呼ぶように」ある朝、母に突然そう言われて、面食らってしまった。父は11年前に他界している。いまさら父の代わりになろうというのか。それとも昔、「お母さん、武田鉄矢に似てるよね」と言ったことをまだ根に持っているのか。理由はわからないが、その日から母の一人称は「わし」になり、「わし、風呂に入る」「わし、茶が飲みたい」とぶっきらぼうに言い、時折、ちゃぶ台をひっくり返す真似をするなど“お父さん”ぶった言動をするようになった。数日経っても母のお父さんごっこは終わる様子がなく、わたしも仕方なく母を「お父さん」と呼ぶようになった。しかし数週間後、いつものように「お父さん」と呼びかけると、振り向かない。「ねえ、お父さん」と繰り返すと、「お父さんは11年前に死んだじゃない」と言う。その目はいたずらっ子のように笑っている。
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EPISODE02 かなえちゃん:落ちると思っても前に向かって飛びあがる
長年、母と二人暮らしをしている。数年に一度、「自立しなければ」と思い立って一人暮らしをしても、金銭的に厳しく、孤独にも耐えられず、1年余りで母の元に戻るのがお決まりのパターンだ。2021年の夏、わたしは人生三度目の一人暮らしをした。原因は、酒と煙草である。酒も煙草もやらない母と、酒飲みでチェーンスモーカーのわたし。普段は仲が良いものの、わたしの酒量と煙草の本数が度を超えると、母の怒りが爆発する。それでもどうにか一緒に暮らしてきたある日、部屋に赤ワインのボトルを隠しているのが母に見つかり、ついに母の堪忍袋の緒が切れた。涙ながらに謝罪するも許してもらえず、わたしは家を出ることになった。これまでは実家から遠い物件を借りたために上手くいかなかった。実家の近くなら家賃も安く、寂しくなったらすぐに帰省できる。そう考えて、実家の南千住から徒歩13分の物件に決めた。最寄り駅は千住大橋だ。引越しの日、母から「お酒はなるべく飲まないように」と口酸っぱく言われたのに、ろくでもないわたしは「これで思う存分、酒が飲める」と浮かれ、間もなく駅下の角打ちの店『荒井屋酒店』に入り浸るようになった。
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【新連載】EPISODE01 居酒屋とんぼ:金に無頓着でもどうにか生きていられる
ライターになって14年。自著を2冊出版し、いくつか連載も抱えている。傍から見ればそこそこ順風満帆に見えるかもしれない。それがどうだろう。実際はライター一本では生活できず、週3日、業務委託でニュース記事をチェックする仕事をしている。それでも足りないため、ガールズバーでアルバイトもしている。なぜこんなに金がないのか、自分でもよくわからない。ブランド品を買うわけでもない。ホストに貢いでいるわけでもない。ただ根っから金に無頓着で、考えなしに1000円もする柔軟剤を買ってしまうのだ。深夜2時。日払い伝票に「3000円」と記し、判を押す。ガールズバーの店長に伝票を確認してもらい、レジ係のゆうちゃんから3000円を受け取る。(これで支払いができる……)。30回払いのローンで買った一眼レフカメラの支払いが、月々3000円。しかし帰り道、自転車をこぎながらわたしは考える。(来週シフトを増やせばいいや)。そして『とんぼ』に直行するのだ。赤い看板の居酒屋『とんぼ』。愛しの『とんぼ』。
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