国内外問わず観光客が増えてきた浅草。日が暮れても尚楽しそうな声やスマホの地図アプリとにらめっこする人達が目立つように。
貴重な一人の夜を楽しもうと浮足立つ私も例にも漏れず、浅草一丁目一番地一でもお馴染み神谷バーを尻目に、雷門通りを横切り、スマホを構える人達の間を縫いながら、シャッターが光を反射する仲見世通りを颯爽と突っ切り五重塔と浅草寺の境内の「紅」を浴びて。

王道の浅草らしさを満喫し、少し遠回りして駅まで向かう途中。ふと路地から見えたスカイツリー。
なぜだかふといつもと違う表情に感じて足が止まる。こんなに小さかったっけ?と。

初めて抱いた感覚を解き明かすため、浅草中央通りへと足を伸ばす。おそらく名も無き路地へそろりそろりと足を踏み入れては、また戻るをしばしリピート。
あるところでは揚げ油の香りに包まれて、あるところでは向こうから向かってくる人影に二度トライし、またあるところでは拍手とご機嫌な声に耳を弾かれて。

計算されつくされた圧倒的な輝きを放つLEDのライトアップを身に纏うスカイツリーが、どこか恥じらうような、それでいて路地の闇にそっと守られているような印象を頂いたのは私だけだろうか。

洗練された佇まいの江戸紫が優雅な「雅」という名のライティングが、少女のような恥じらいを垣間見せたような気がして、遠いのに近く感じた不思議な夜。
折角ならお近づきになろうと思い、吾妻橋を渡る。はやる気持ちを抑えられず、点滅する歩行者用信号を小走りで渡りながら業平橋へさしかかったその時。
寒空の薄雲を一掃するかのように凛と澄ましたスカイツリーに圧倒されて、しばしフリーズ。浅草で感じた親近感と特別感はどこへやら。そこにはよく知つている、沢山の人達からレンズを向けられる麗人、もとい、スカイツリーが。

淡い失恋のような空虚感が生じたところで、そのおひざ元の都営浅草線に乗って帰路へ。あれは、浅草の路地裏が見せた悪戯だったのか。
それでもなぜか幻だったような気がしなくて、こうして文字に起こしてみた次第なのである。