古めかしい字体が良い味を醸し出す入口。
綺麗に整えられた石畳の路面からは、風情だけではなく気品を感じられるような気がしませんか?銀座の粋な一面が表れているようです。
マーライオンの壁画や大きなガラス壁が特徴的なお店もございますが、その先は高級割烹やお寿司屋さんなど、古き良き老舗が集積したクラシカルな装いに早変わり。
水も滴る良い小路、というのはこのことでしょうか。雨に濡れた青葉や石畳は晴天時とはまた違う艶と煌きをみせてくれます。

そしてこちらが「あづま稲荷大明神」。こぢんまりとしていますが、綺麗に整えられているのが伝わります。
ご利益は火除けと盗難防止。ちょっと不思議なご利益には、こんな逸話があるんです。

第二次世界大戦後、銀座のメインストリートとして復興、発展を遂げたあづま通りでは、不審火や火災が続出。どういうことかと調べた結果、どうも町の一角にお稲荷さんが祀られていたことがわかり、京都の伏見稲荷大社より分霊を頂戴したとのこと。
あわせてこちらをご覧ください、


1940年頃 周辺には企業から個人店が多数建ち並ぶ
1945年1月27日 B29による東京大空襲、銀座一帯が焼け野原に
1946年 終戦
1946年~1951年 銀座通りには闇市などの露店が建ち並ぶも、GHQの命令で撤去を余儀なくされる
1952年 松屋などがアメリカから返還
1964年 東京オリンピック
1971年 銀座コアできる


東京オリンピック以前には創建されていたと思っておりますので、おそらく1940年代後半~50年代のいずれかで誕生したのではないでしょうか。

今でこそ銀座は洗練された街ですが、混沌とした戦後では、それぞれが自身の「復興」を願い、必死に這い上がろうとしていたのではないでしょうか。
苦悩、嫉妬、焦燥…そして、度重なる不審火や火災。
もしかしたら、祀られていたという神様は、こういった事態を収束させるべく事実として人々の前に表れたのかもしれないと思うのです。
小柄で可愛らしい鈴を鳴らして手を合わせながら、かつての銀座に思いを馳せたのでした。

さて、恒例の締めくくり和菓子は、三原小路を出てすぐ左、あずま通りの重鎮とも呼べる「菊廼舎」さんの揚げまんじゅうです。

こちらを考案なさったのは、先代である四代目。小豆の良さを海外の方へ伝えようと考案なさったところ、国内外から大変好評だったとのこと。
できたては勿論、マカダミアナッツの自然かつ上質な脂質のおかげで、冷めても美味しくいただけます。ぽりぽりと軽快なマカダミアナッツが口の中で踊り、ほっこりとしたこしあんが包み込むように口の中でひとつに。


あずま稲荷大明神を通して、立ち位置は異なれど銀座の発展と復興という同じベクトルへと矢印が向いた。かもしれない一帯の人達。
異なる個性や歴史をもつ面々が集うこのあずま通りや銀座の街一体は、どこか菊廼舎さんの揚げまんじゅうに似ているような気がした、夕立の三原小路でした。