普段は気にならないはずの「ひとくち生ビール」
この日はなぜかその響きが愛おしかった。
サクッと飲みたい気持ちが強かったのだろう。
“そのとき”とは、往々にしてそういうものである。

肴に選んだのは、大衆酒場の定番中の定番「煮込み」
お店の個性もあって外せないメニューだ。
具材は「豚もつ」「大根」「豆腐」、そして上に盛られた「ネギ」。
“シンプル・イズ・ベスト”とは、酒場の煮込みにこそ相応しい。

「ひとくち生ビール」は、どこまでいっても「ひとくち生ビール」
あっという間になくなってしまうのは、頼む前にわかっていたはずだ。
店内にはまだ多少の空きがある。
これは「追加オーダーをしろ!」というバッカスの指令に違いない。
え?“酒場の流儀”はどうなったって?
こだわりがない男はつまらない。
しかし、こだわりが強すぎる男もまた考えものだ。
男はもっと柔軟であるべき。
これが私の“男の流儀”だ。

私は樽生ビールに魅せられ、どのお店に行っても1杯目は樽生ビールを飲みたくなってしまうという病に侵されている。
職業病とも呼べるその状態を、少しだけ悔いることがあるとすれば、それは「サッポロ ラガー(以下、赤星)」を1杯目に頼めないことだ。
酒場という聖地において、「赤星」以上にその場にフィットするドリンクを、私は知らない。

「ポテトサラダ」もまた、酒場の定番メニュー。
「煮込み」が“シンプル・イズ・ベスト”なら、「ポテトサラダ」は“バック・トゥ・ベーシック”
すべての酒場は、基本に立ち返って「ポテトサラダ」から見つめ直せって話。
『いこい本店』のそれは、千切りキャベツの上に、人参とキュウリとジャガイモの「ポテトサラダ」
まさに基本に忠実な一皿だ。

お店も混んできた。
ぼちぼち席を空ける時間が近づいてきたようだ。

「赤星」はまだ残っている。
私は「コブクロ」を追加オーダーした。
酸味の効いた味噌だれと、独特の食感がクセになる。

それにしても、カウンター内で、四方八方から飛んでくるオーダーを捌くお兄さんがすごい。
店内のスタッフは4人、内3人が厨房で調理を担当している。
最前線に立つお兄さんは、左手で樽生ビールを注ぎながら、右手でチューハイの焼酎を注いでいる。
そして背後から飛んでくるオーダーに反応し、出来上がったフードを提供し、キャッシュオンデリバリーの会計まで瞬時にこなす。
そして、店内で放送しているメジャーリーグ中継までチェックしている。

そのパフォーマンスを目で追うだけで、どんどんお酒がすすんでしまいそうだ。

しかし、一人、酒場で飲むときに長居は無用。
未練たらしい男は嫌われる。
もう少し飲んでいたいときに席を立つのが、私なりの“酒場の流儀”。

取材・文・写真 / 美味いビールが飲みたい