自由が丘のヒロ通りに長年住んでいる方のブログを偶然見つけたのがきっかけでした。

院外茶話 
自由が丘・昭和から令和へ 銀座・広小路
https://www.tutisaka.tokyo/?p=769

この記事の中で、以下の4点に興味を惹かれました。

①「広小路会」からヒロをとってヒロ通り。

*広小路会は、Hilo通りを含む東急大井町線沿いに広がる広小路商店街を中心とした店舗の集まり。

②広小路のヒロ+ハワイの「ヒロ」をイメージして、Hilo(ヒロ)ストリート。

③昭和30年代はつばき通りと呼ばれていた。

④かつて、ヒロ通りにあった料亭・大島屋⇒大島椿⇒つばき通りになった、と推測。

自由が丘駅正面口を三菱UFJ銀行方面、踏切手前の通りがヒロ通り!

やがて大和証券、学園前通りを渡りフレッシュネスバーガーの先もヒロ通りは続く

その他、

2003/2/5付で、目黒区が公開している「自由が丘地区別懇談会資料」の地図では、「つばき通り」とあり、
参考:https://www.city.meguro.tokyo.jp/documents/569/2_kadaizu.pdf

ブログ「XWIN II Weblog 徒然と興味のあるものを追い求め…」
2010/10/20付「昭和30年(1955年)頃の自由ヶ丘商店街地図」に示された地図を見ると、「広小路通り」とあります。
参考:https://xwin2.typepad.jp/xwin2weblog/2010/10/jiyugaoka_shoten_s30.html

◎つばき通り、または、広小路通りが、ヒロストリートになった時期については、

2005平成17年3月10日付「自由が丘新聞」『「通り名」見直し経過報告』の記事がありました。それによると、

「2005年通り名見直し経過報告」として、「2月10日に第1回「通り名」見直し定例会が行われた。」、「ヒルサイド、現状の「通り名」で定着する感触」、「広小路、ヒロストリートで統一。」などの記述があります。

参考:https://www.jiyugaoka-abc.com/wp-content/uploads/2018/09/214.pdf

最後に、2014平成26年12月16日付「自由が丘新聞」の興味深い記事を見つけましたので引用します。

「自由が丘の店と人々㉛一言庸夫(ひとこと・つねお)
商店会編⑥自由が丘広小路会」 

「今から50年余り前の昭和34年まで自由が丘駅の改札口は実はもう少し横浜寄りで、現在の三菱東京UFJ銀行のあるビルの辺りにあった。そのため現在、駅前広場の西側から大井町線の九品仏駅方面に沿って延びる広小路通り(ヒロストリート)やしらかば通りは「駅前通り商店街」としてにぎわっていた。
 改札口の真ん前にあったくだもの店・越後屋果物店は夜遅くなっても「家族へのお土産に…」とくだものを買って帰るサラリーマンがひんぱんに立ち寄り、連日、終電まで営業していたそうだ。また、「自由ヶ丘文化人村」と呼ばれた文人や画家、舞踏家や書家の集まりは、この通りにあった割烹・大島屋でしばしば開かれていた。(後略)」

参考URL/ https://www.jiyugaoka-abc.com/wp-content/uploads/2018/09/331.pdf

昭和の自由が丘を全く知らないわたしも、当時の様相が浮かんできます!

自由が丘には細かい路地がたくさんあり、その通りひとつひとつに、時代に則した名前が付けられ、自由が丘という街に一層の愛着が湧いた次第。

もっと深堀するとはっきりとした情報が得られそうですが、今回は時間切れです!

参考:
自由が丘 広小路会 公式アカウント 
https://www.instagram.com/hiroshira.st/?hl=ja

自由が丘商店街振興組合 
東京都目黒区自由が丘2-10-8 自由が丘エヌケービル3F  
https://www.jiyugaoka-abc.com/