というのも、手持ちの、2003年7月発行、昭文社『東京&横浜ストリートマップ リンクリンク!』で、確認すると、「女神通り」ならぬ「ひのき通り」とあるではありませんか!?
さらに、平成17(2005)年3月10日付、自由が丘新聞には「通り名 見直し経過報告」の記事が掲載、
「(前略)ひのき通りは検討する時間的余裕がなく現状で行く方針。(後略)」とあります。
https://www.jiyugaoka-abc.com/wp-content/uploads/2018/09/214.pdf
2014年発行、昭文社『でっか字まっぷ 東京23区』では「女神通り」に変わってます! 通りの名前は、 変わることってあるんですね?
これまでは「女神通り」を、駅前の自由が丘デパート横の通り、などと言ってました。つまり、わたしは自由が丘で通りの名前を意識したことがなかったんです。
試しに、創業当初から自由が丘ひかり街に店を構えている洋品店の店主?と思われる女性に、「女神通り」について聞いても通じず、それどころか、
昔は「銀座通り」と呼んでいた、という新たな情報が加わり、ますます混乱しました。
改めて整理すると、
自由が丘駅前広場から自由が丘デパート方面、東横線の線路沿いに続く通りは、
昔は、銀座通り⇒少なくとも2005年までは「ひのき通り」⇒2014年には「女神通り」になっている。
ちなみに、女神通りを、銀座通り、と呼んでいたことについては、2013平成25年6月14日付、自由が丘新聞のコラムにも書かれています。
https://www.jiyugaoka-abc.com/wp-content/uploads/2018/09/313.pdf
「コラム ちょっと! ヒトコト 一言 庸夫」
「自由が丘の店と人々 23」
「自由が丘開運学院 秋山勉唯絵(つたえ)会長 ①」
「(前略) 駅から東横線の線路沿いの道を当時は銀座通りと呼び、その通りをしばらく行った現在の亀屋万年堂本店の隣あたりに五十坪程の貸店舗を見つけ、そこでその名も鹿児島時代と同じ『チェリー洋装店』を開業した。(後略)」
とあります。じわじわ興味が湧いてきました。
ところで、現在の「女神通り」の由来は、駅前広場にある、彫刻家の澤田政廣氏が制作した、自由の女神像「あをそら」からきています。その女神像にちなんで毎年10月に開催されるのが、「女神まつり」なんです。
参考:
目黒区HPめぐろぷらす
https://www.city.meguro.tokyo.jp/meguroplus/special_20240315.html
自由が丘振興組合
自由が丘オフィシャルウェブサイト
https://www.jiyugaoka-abc.com/



