気を取り直して、二番目の「幡ヶ谷公園トイレ」へ。道沿いに細長い建物が並んでいる。52-1って番号ついてるけれど、団地なのか?
調べたら、都営住宅だった。
この道は、水道道路(玉川上水新水路)という。明治25年に淀橋浄水場ができたときに、玉川上水の水を引き入れて、淀橋浄水場まで流すために作られた。都民の水を確保するプロジェクトだったが、関東大震災で被害を受け、そのまま役目を終えたのだという。
このちょっと薄幸な水路の土地を生かして、東京都が都営住宅を何棟も建てたのが。昭和40年代。その前にも平屋の住宅があったという。
団地は、まだまだ現役で、1階が保育園になっていたり。飲食店になっていたり、バラエティーに富んでいる。小さい団地や、斜めに建っている団地など、次々現れる団地に見とれているうちに、「幡ヶ谷公園トイレ」に到着。
白くて多角形のトイレ。スマホを使っての開閉でないことに、ほっとずる。
ボランティアのジャケットの方たちが、トイレを巡回している。
このプロジェクトは、トイレを怖いイメージから開放しようとしているので、メンテナンスにも力が入っている。
3つ目のトイレは、幡ヶ谷駅のちょっと南にあるらしい。甲州街道をトイレ、トイレと歩いていると、こんなものが現れた。
この窓ガラス、入口には手洗い場。
トイレなのか?だいぶ年季がはいっている。
上に目をやると、オレンジの提灯がついている。
トイレって呼んでごめんなさい。中にはお地蔵様。
それも、ずいぶん厳重な鉄格子の中にいらっしゃる。
なんだなんだと下がって上を仰げば、狭い敷地からそそり立つ建物と五輪塔。
冒頭の写真のとおりだ。
看板を見ると、これは子育て地蔵。
1685年からここにあり、この場所は地蔵窪と呼ばれていた。
昭和40年代に甲州街道が拡幅することになって、地蔵堂の土地は6坪になってしまった!
その小さな土地に工夫して作られてたのがこの地蔵堂で、設計はガウディの研究で知られる鳥居徳敏氏。渋谷区役所の、公害に関係した測定計器までついている。
狭小住宅住まいの私としては、6坪の子育て地蔵堂への親近感は半端ではなく、何枚も写真を撮った。
地蔵尊のすぐ先に、今度こそ本当のトイレがあった。「西原一丁目公園トイレ」
緑道に建つ、緑色のさわやかなトイレだった。
ここからは、代々木八幡に向かって歩いていく。幡ヶ谷から代々木八幡へは、一本道が伸びている。大きな木も多く、代々木八幡への参道だったのかもしれない。
玉川上水のあとを渡り、緩い傾斜を上がっていく道には、豪邸とよびたい住宅とか、中学校とか、特別養護老人ホームとかがあり、ベトナム大使館もあった。大使館の周りの電柱には、ベトナム語の広告があって、なぜかおしゃれな八百屋さんもあった。
代々木八幡宮を見下ろす坂道に出た。
遠くからみてもオーラをはなつ代々木八幡。その前にはきのこみたいなトイレが3つ。
後ろの八幡宮を背景にしたこの「代々木八幡公衆トイレ」。森をバックにしたきのこのイメージで設計されたらしい。この日のトイレの中で、一番好きだった。
石段を代々木八幡宮に向かって登ると、とても心惹かれるものがあった。
どこかへ続く細道と、ひっそりとした像たち。ここから入る福泉寺からは、代々木八幡の町が見下ろせる。
すごい場所を発見した気持ち。
代々木八幡宮の参道も、古墳もとても良かった。
若者だったころに、渋谷や代々木公園に遊びに来たこともあるが、代々木八幡宮に来ようとは思わなかった。今しっくりくるのは、完全にこっちの方だ。
さて、トイレの旅もあと二つ。代々木八幡の高台から坂道を降りると、小田急線の踏切。
「あれ、この踏切は?」
新海誠監督の「秒速5センチメートル」の大事な場面にも、小田急の踏切が出てきたはず。
調べると、映画に出ていたのは、お隣、神宮橋の踏切だった。しかし!さっき発見したつもりだった福泉寺の素敵な場所は、「秒速5センチメートル」の聖地だったことがわかる。
なかなか新発見はないものだ。
「PERFECT DAYS』のロケ地を巡って、「秒速5センチメートル」の聖地に来ていたとは。
最後に代々木公園に面している「はるのおがわコミュニティトイレ」と「代々木深町小公園トイレ」を見た。どちらも入ると不透明になるトイレ。冬は温度の関係でいつも不透明らしい。
透明になる季節にまた来なくては。
6つのトイレを回ったら、予想以上に発見があった。映画を見てみようか。