南国リゾートというイメージとは異なる、与那原町の路地裏へ
「沖縄」と聞いて、皆様は何を思い浮かべるだろうか。青い空、コバルトブルーの海、赤瓦の屋根、色鮮やかなハイビスカス。もちろん、それも沖縄の魅力だ。
しかし、本日皆さんに紹介するのは、そんなリゾートを感じさせる表通りの話ではない。 生活感あふれる路地裏にある、ちょっと不思議な空間。
そこには、社会人落語家としての一面を持つ私が、ついつい「おいおい、冗談だろ?」とツッコミを入れたくなるような、不思議な顔をした神様たちが潜んでいる場所だ。
社会人落語家のひとりとして、ついつい人の「表情」が気になる私が、思わず二度見してしまった沖縄のディープな守り神、「石獅子(いしじし)」たちとの出会いを語ってみよう。
シーサーのようでシーサーじゃない? 「石獅子」しーじゃ(先輩)という存在
私の暮らす街、沖縄本島南部の与那原町(よなばるちょう)。
物流で栄えていた頃の面影を残す路地を歩いていると、ふとした辻や茂みの中で、彼らと目が合う。
……お分かりいただけるだろうか 。この、何とも言えない表情。沖縄の守り神といえば、誰もが「シーサー」を思い浮かべるだろう 。本来のシーサーは、たて髪をなびかせ、カッと目を見開き、悪霊を追い払う「ライオン(獅子)」の姿をしているはず 。
ところが、私の街にいる彼らは、どう贔屓目に見てもライオンではない。かといって、内地(本土)の狛犬とも違う 。ツルンとした頭に、まん丸の目。どう見ても「猿」だ。
実はこれ、「石獅子(いしじし)」と呼ばれる、シーサーの原型とも言える存在。現代のシーサーは屋根の上や門柱に座り、「家」を守る役割を担っている。しかし、石獅子の歴史はもっと古く、村の入り口などで集落全体に睨みを効かせ、マジムン(魔物)や災いの侵入を防ぐ「村の守り神」なのだ 。
石獅子は、うちなーぐちで言うところの「しーじゃ(先輩)」。つまり、彼らはシーサーの先輩だ。にもかかわらず、この「威厳」のなさ。そこがたまらなく愛おしい。
なぜ「猿」の姿に? 社会人落語家が推理する石工たちの驚きの想像力
材木ストリートから路地を南に曲がり、介護施設の横を通り抜けるとガジュマルの木陰に隠れているしーじゃの姿が…。
木の陰から半身を出すその姿は、星飛雄馬の姉、星明子を彷彿とさせる。こちらは弟の心配なんてせず、にっこり笑顔なのが対照的。
それではなぜ、百獣の王であるはずの「獅子」が、このような「猿」や「人間」のような姿になってしまったのだろうか。
路地裏で彼らと睨めっこをしながら、私はある一つの仮説を思い出した。それは、「昔の石工たちは、本物のライオンを見たことがなかった説」だ。
かつての琉球の石工たちは、石を彫る技術は超一流だった。しかし、海を隔てた遠い国の「聖なる獣」の実物は見たことがない。「どうやら恐ろしい顔をしているらしい」という噂や、中国から渡ってきた絵だけを頼りに、「たぶん、こんな感じだろう!」とノミを振るったに違いない。
その過程で、どうしても想像がつかない部分に、身近にいる「犬」や「猿」、あるいは近所のおじさんの顔といった「見たことがあるパーツ」を無意識に混ざり込んでしまったのだろう。
落語の世界でも、『転失気(てんしき)』など、知らないことを知ったかぶりして解説する噺(はなし)があるが、まさにそれと同じ。人間の「想像力」が飛躍してしまった結果が、この独創的なフォルムなのだ。
「じょーとー、じょーとー(上等、上等)」の精神が生んだ世界一愛くるしい守り神
「ライオンには似てないけど、強そうだからこれでいいさ」 「愛嬌があって、じょーとー、じょーとー!」
沖縄の言葉で「最良」「素晴らしい」を意味する「上等(じょーとー)」。「似てないけど、愛嬌があるからじょーとーさ!」 そんなウチナーンチュの声が聞こえてきそうだ。細かいことは気にしない、この島のおおらかな性格が、恐ろしいはずの魔除けをこんなにもユーモラスな姿に変えてしまったのかもしれない。
ライオンにはなり損ねたが、数百年もの間、雨風にさらされながら村を見守り続けてきた石獅子。その顔を見ていると、魔物だって「なんなんだお前は」と毒気を抜かれて、苦笑いして帰ってしまったことだろう。
ある意味、最強の魔除けと言えるかもしれない。
皆さんも沖縄へ来る際は、観光地のシーサーだけでなく、路地裏にひっそりと隠れる愛らしい魔除けの姿を探しに出てみてはどうだろうか。きっと、肩の力が抜けるような、いい出会いが待っているはずだ。






