1959 昭和34年、阪急百貨店梅田本店西別館2階に、「喫茶・レストラン 風車」誕生!

ところで、風車、喫茶店、カフェ、と検索すると、全国に、多くの風車と名の付く喫茶店、カフェ、レストラン、食堂、があることに気づきます。その多くは個人経営のようで、すでに閉店したお店も多くあります。


JR大阪駅に隣接している旧阪急百貨店梅田本店、西別館2階にも、かつて、昭和34年開業の「喫茶・レストラン 風車」がありました。

当時の佇まいやメニューを見る限り、どことなく広島の「風車」を思わせ、系列店では?と期待が高まりました。

しかし結論からいうと、阪急百貨店梅田本店、西別館2階にあった「風車」は、 阪急百貨店が、1929年(昭和4年)、創業するより前からある「阪急食堂」から派生した「喫茶・レストラン」です。

その成り立ちは、1959 昭和34年、阪急百貨店の子会社「梅田調理株式会社」を設立した後、「阪急百貨店直営レストラン 喫茶 風車」を開業し、その代表を務めたのが、阪急百貨店食堂顧問でもあった杉本甚之介氏で、神戸オリエンタルホテル料理長、宝塚ホテル料理長など歴任している人物です。

そもそも、阪急百貨店は、阪急電鉄 創業者の小林一三氏が、1929(昭和4年)、鉄道駅と直結した百貨店として開業したのがはじまり、日本初の鉄道会社が経営するターミナルデパートです。

参考:株式会社阪急阪神百貨店/阪急百貨店の沿革
https://www.hankyu-hanshin-dept.co.jp/enkaku_hk.html

阪急うめだ本店
大阪市北区角田町8番7号 
HP/https://www.hankyu-dept.co.jp/index.html

*株式会社阪急百貨店と株式会社阪神百貨店は、2008年に経営統合し、現在は、株式会社阪急阪神百貨店になっています。

新阪急ビル8番街 、阪急東京大井店、東京数寄屋橋阪急、京都 大宮駅ビル、にも「風車」がありました。

阪急百貨店直営「喫茶・レストラン風車」は、1976年発行『株式会社 阪急百貨店25年史』によると、当時は、以下の5か所あったことが確認できます。

参考:
株式会社阪急百貨店社史編集委員会 編『株式会社阪急百貨店25年史』,阪急百貨店,1976. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11956225 (参照 2025-07-11)

〇1959(昭和34)年、旧阪急百貨店梅田本店、西別館2階に、「食堂と喫茶 風車」 開業。

1960(昭和35)年、旧阪急百貨店梅田本店、西別館1階 に、「風車コーヒーショップ」、「風車アイスクリームパーラー」開業。

〇1963昭和37年、新阪急ビル8番街 地下2階に、「レストラン 喫茶 風車」開業。
ビヤホールレストランとして設計。
*新阪急ビルは、2014年閉店、解体された。

〇1960昭和35年、阪急百貨店 東京大井店の増築した新館4階に、「喫茶・食堂 風車」開業。
*阪急百貨店東京大井町店(現、阪急百貨店 大井食品館)は、1953年(昭和28年)開店。

〇1956(昭和31)年、東京銀座「銀座東芝ビル(銀座TSビル)」1階に「数寄屋橋阪急」開業。
昭和41年1966年、増改装された「数寄屋橋阪急」の3階に「喫茶 風車」開店。

*その後「数寄屋橋阪急」は2004年「モザイク銀座阪急」に業態転換、2012年閉店。

「銀座東芝ビル」は、2007年、東急グループに売却され、解体、現在は「東急プラザ銀座」になっている。

〇1968昭和43年、阪急百貨店直営「京都食堂街」が、京都 大宮駅ビルに新装開店、「グリル風車」と「コーヒーショップ風車」 開業。

阪急梅田の風車、新阪急8番街の風車、ありし日の光景が、蘇る

初代「ひろしま駅ビル」開業と同時にオープンした広島の「喫茶 軽食 風車」同様、阪急系の「喫茶 レストラン 風車」は、一定の年代以上の大阪人には、特別な思い出があるようです。

どちらも、鉄道駅に直結した場所に出店し、老若男女あらゆる人を迎えた大衆洋食レストランの顔も併せ持つ、喫茶店であり レストランです。

阪急系「風車」のことを調べている段階で、興味深い記事を読みましたので、そのいくつかを引用し、ご紹介します。

ひとつは、柴田書店『月刊食堂』1962年2月号グラビア記事より。

タイトルは、

「百円単価で早い回転」
「ターミナルの食堂」
「大阪 風車」

店名 株式会社 風車
客席 テーブル50椅子186
営業時間 午前8時一午後8時
従業員 60名(内コック28名)

▶立地条件=大阪駅のお隣り阪急デバートの二階にあり、店内からはスムースに入れる。
舗道からは階段を登らねばならないが、朝夕出雑時には座れない。

▶特色=阪急は食品関係から伸びたテバートなので、食堂に力を入れ杉本甚之介、富田和八郎氏など関西司厨士界の重鎮が直接経営に従事、コック養成には特に熱心。厨房設備にスペースを広くとり作業能率をあげている。店内改装は年一回、春は桜、夏は藤と四季の変化を装節に生かしている。年中無休で、料理は平均一〇〇円のメニュー。

▶客層=ビジネスマン、阪急電車利用者が多く、朝食客をキャッチしている。
回転は早く一日四千人くらい収容。


出典:『月刊食堂 』柴田書店,1962-02. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2674532

もうひとつ、1965年発行の書籍『大阪食べある記、第1集・編著高橋敬蔵 』より引用、新阪急ビル8番街の「レストラン 風車」が取り上げられています。


レストラン 風車。場所 新阪急ビル八番街 電 話(略)
営 業 午前11時一午後8時半 第1、第3日曜休み

新阪急ビル八番街の地下二階、エスカレーターをおりて、左にぐるりとまわると、風車の看板でそれとわかる、ビヤホール、レストラン、喫茶の店「風車」がある。入口の陳列をのぞくと、洋食一さら一〇〇円、ビールはキリン生が、これまた一〇〇円、喫茶の部ではコーヒー五〇円、ホットケーキ五〇円はよその半分ぐらいの値段である。
 部屋の一隅には、ビールだるをつみあげた装飾があり、ビールで乾杯、ずばりのムードだ。一杯また一杯と談笑のうちにグラスをかさねていく。たのしいひとときはある。
 あとはお好きな洋食で腹ごしらえ。銀皿一ぱいの大型カッやエビフライよりどり一〇〇円という安値さだ。「一〇〇円ではこれ以上のものはつくれません。味もまずいものはだしてないつもり」と経営者側の声だ。
 シチューだとか、フライだとか、ハンバーグだとか、もりもりと食べる若い人たちの満足そうな食べっぶりが無言の回答だ。風車という名のつく店は、梅田界わいに、ほかにもあるが、いずれもこの姉妹店だ。
阪急百貨店二階の風車(喫茶グリル)、一階の風車コーヒーショップ、風車アイスクリームコーナーなどがそれだ。

メ モ 安い、うまい、早いの代表格。

出典:高橋敬蔵 編著. 大阪食べある記1,大阪新夕刊新聞社1965. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I27221000000963220


わたしなど、これらの文章を読むと、大阪梅田駅界隈の喧騒と、食い倒れの街、大阪、高くて旨いは当たり前、安くて旨い、云々、よく言われることを思い出します。

昭和を彩った、ふうしゃ、と、かざぐるま、

ところで、「風車」というキーワードは、1950年、60年、70年代頃、色んなシーンに登場します。

でも、「ふうしゃ」と「かざぐるま」は、何が違うのだろう?これまであまり深く考えたことがありませんでした。
『新明解国語辞典』第六版、を引くと、


ふうしゃ【風車】
「かざぐるま」の漢語的表現。例文として「ーにたち向かうドンキホーテ」。

かざぐるま【風車】
①風の力を受けて回る仕掛けの車。米つきや水くみなどに使われた。ふうしゃ。
②軸に羽が三、四枚付いていて、持って走ると回転する仕掛けのおもちゃ。

とあります。つまり、ふうしゃ、も、かざぐるま、も同じ意味なのですね!
『新明解国語辞典』の例文にも使われた『ドン・キホーテ』は、16世紀に生まれた作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説です。

内容は、

騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなったアロンソ・キハーノが、自らを遍歴の騎士と任じ、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と名乗って冒険の旅に出かける物語。スペインのラ・マンチャ地方に実在する粉ひき風車に、巨人と間違えて突進します!

自称ドン・キホーテが、巨人と間違えて、突進する製粉用風車とは、主に、小麦を挽いてパンを作るための設備、風の力を利用して、羽根車で風を受け、その回転運動を軸や歯車を通して石臼に伝え、小麦を粉状にする仕組みです。

かざぐるま、と読むと、祭りの屋台や子供のおもちゃとしての、プラスチック製のカラフルな風車、が思い浮かびます。

風車は、古くから、商売繁盛、魔除け、希望、の象徴とされ、オランダ=風車のイメージもありますね。

個人的に目に留まった「風車」を少しだけ、ご紹介します。

★ムーランルージュ・日本語では「赤い風車」。

パリのモンマルトルのキャバレー、ムーランルージュは、1889年「パリ万国博覧会」への観光客を見込んでオープン、同時に建造されたのがエッフェル塔。

画家のロートレックのポスターやダンスホールの様子と踊り子たちを描いた作品が有名。ダンサーが足を上げてペチコートを見せる『フレンチカンカン』で世界的に有名に。屋根の上に風車を作り全体を赤で統一した印象的な建物です。

参考:パリ観光サイトパリラマ
https://paris-rama.com/paris_spot/008.htm 2025年7月17日。

★映画『風車のある街』1966日活、監督森永健次郎、吉永小百合、浜田光夫。
協賛:KLMオランダ航空会社、オランダ国立旅行協会など。

大学の保育科を出て保母になったまり子(吉永小百合)とオランダの干拓を学び東京湾を干拓したい夢を持つ石倉(浜田光夫)。日活ゴールデンコンビが、王道の恋愛ストーリーを展開、オランダロケ。

国土の多くが低湿地のオランダは、古くから水を排水し土地を干拓するために風車を利用、オランダ=風車のイメージが定着してます。

参考:日活データベース
https://www.nikkatsu.com/movie/20938.html

★『恋の風車かざぐるま』1974年。

日本のフォーク夫婦デュオ「チェリッシュ」のヒット曲。

恋心を、クルクル回るかざぐるまに例えて、清純なメロディと歌唱で歌って、多くの人を魅了した。

★『かざぐるま』1986年。
日本のシンガーソングライター、村下 孝蔵(1953昭和28年生、享年46歳)の楽曲。

こちらも、かざぐるまを恋模様に例えていますが、より切実な歌詞、抑えきれない恋心を、カラカラ回るかざぐるまとリンクさせた歌詞が、唯一無二の声と、ぴたりと調和、日本的情緒に満ちた曲。

その他、松山千春の『かざぐるま』1977年、一青窈(ひととよう)の『かざぐるま』2005年、などなど、タイトルだけでなく、歌詞に使われているものも多くありそうです。

★モチーフとしての風車。

昭和時代、多くの社長室や各家庭の客間テーブルには、装飾と実用を兼ねたカッティングガラス製の灰皿+レースの敷物が置かれていました。

テーブル、テレビ、鏡台、ミシン、黒電話等々に装飾性のあるカバーや敷物がかけられていて、レース編みの敷物やカバーは定番でした!

当時の婦人雑誌やレース編みの本を見ると、花、雪の結晶、四葉のクローバーなど、デザイン性に富んだモチーフが多く紹介され、「風車」モチーフもあります!

最後に、1967年6月12日号『週間サンケイ』の、東京都内の喫茶店の名前調べ、のページが興味深かったので、ご紹介します。

記事によると、

1位、ボン 37軒。
2位、プリンス、白鳥、コロム(ン)ビア、各29軒。
5位、ブラジル、24軒。
6位、カトレア(ヤ)、23軒。
7位、エデン、22軒。
8位、ルノアール、21軒。
9位、エンゼル、コンパル、リオ、各20軒。とあり、

その他、車の名前で、「クラウン」、「セドリック」、「ローマの休日」「パリのお嬢さん」などなど。1967年当時、、東京の喫茶店のバラエティに富んだ名前が数多く紹介されています。

出典:『週刊サンケイ』扶桑社,1967-06月12日号、P60「おせっかいレポート/岡田光雄」
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1810305

「カトレア」「ブラジル」「ルノアール」「リオ」「コロンビア」あたりは、覚えがありますが、肝心の「風車」は、全く出てこないのが不思議です。日本の東西南北、地域差があるのかも知れませんね!

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