尾崎ムギ子(達人)の記事一覧

尾崎ムギ子
達人
尾崎ムギ子
ライター
1982年、東京都生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業後、リクルートメディアコミュニケーションズに入社。2008年にフリーライターとなる。著書に『最強レスラー数珠つなぎ』、『女の答えはリングにある』(イースト・プレス)がある。
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躁とうつを行ったり来たり。一体どれが本当のわたしなのだろう【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
8月下旬、月一回通院している精神科の主治医に「気分はどうですか?」と聞かれ、「毎日が楽しくてしかたないです」と答えると、主治医はわたしの顔をジロジロと観察して、こう言った。「躁(そう)転しているかもしれない」——。躁転とは、うつ状態から躁状態に転じること。わたしは双極性障害(俗に言う躁うつ病)を患っており、何年かに一度、躁転するのだ。
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大丈夫になったのだ、きっと。いまのわたしは完全に陽気なパリピ【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
6月のある日、千住大橋駅前の立ち飲み屋『八ちゃん』で飲んでいると、けーた君とノノさんがやって来た。2人はかなえちゃんの友だちで、何度か一緒に飲んだことがある。ルームシェアをしているが、付き合っているわけではないらしい(2人ともゲイだ)。
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絶縁された母の元へ「出戻り」。みんな元気なら、それだけでいい【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
この連載が始まって一年、自分や家族のことをこれでもかと赤裸々に書いてきた。母には連載していること自体をひた隠しにしてきたが、先月ついに見つかってしまい、絶縁されて家を出ることになった。引っ越そうにも金がなく、区役所で紹介された施設に入った。惨めだった。
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「死なないこと」。家出したわたしのいまの課題は、たったひとつだけ【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
ある日、バイトから帰宅すると母が顔を真っ赤にして玄関に立っていた。A4の紙を持ち、わなわなと身を震わせている。「これ、どういうつもり?」——。一瞬、なんのことかわからなかったが、母に紙を差し出されてすべてを把握した。この連載の前回の原稿だ。プリントアウトしたものを机の上に置きっぱなしにしていたのだ。頭が真っ白になった。
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工場勤めと元カレ。不安定でも曖昧でも、しがみついていたい幸せ【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
早めの5月病だろうか。4月半ばから一切のやる気がなくなった。とくに仕事に情熱が持てない。情熱だけで記事を書いているわたしは、困り果ててしまった。
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42歳になっても、いまだ青春真っ盛り【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
3月に入ってから体調不良が続き、病院へ行くと甲状腺の病気が見つかった。肝臓の数値も異常で、これまでと同じ生活を送ることが難しくなった。煙草をやめ、酒をやめた。週1回の角打ちバイトも辞めることにした。角打ちで酒を飲まずに働くことは難しいように思えたからだ。元々は客として通っていた『荒井屋酒店』。2023年6月、社長に「いつ辞めてもいいから働かない?」と声を掛けられ、なんとなく働き始めた。大してやる気があったわけではなく、酒も飲めるしいいかな程度の気持ちだった。ところが辞めた途端、とてつもない喪失感に苛(さいな)まれた。ライター業をしていて、日常で自分の価値を感じる機会というのはそんなにない。しかし角打ちでは、毎週わたしが入る火曜日にわざわざ店に来てくれる人たちがいた。知らず知らずのうちに、自己肯定感が高まっていたのだと思う。いつの間にか、自分にとってかけがえのないコミュニティーになっていた。
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人にすがろうとするのは、自分に軸がないから。【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
年明け、男に懲りてレズビアンバーに行ったことで、自分のセクシュアリティを見失った(連載第10回参照)。異性愛者か、同性愛者か、はたまたパンセクシャル(全性愛者)か――。「なんでもいいや」と思ったのが正直なところだ。わたしは何者にも傷つけられず、自由に、楽しく生きたいだけ。それでも一度興味を持つと、とことん突き詰めたくなる性分である。レズビアンバー初訪問時から数日後には、SNSでレズビアンオフ会を探し、申し込んでいた。
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雑念恐怖症のわたしの背を押してくれた、女子レスラーの勇姿と西加奈子【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
しばらく趣味のプロレス観戦を控えていた。雑念恐怖症の症状がひどくなってきたためである。雑念恐怖症とは強迫性障害の一種で、文字通り雑念にとらわれる症状のこと。雑念にとらわれるがあまり、物事をうまく進めることができないのだ。
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異性とかLとかTとか、もうどうでもいいのだ。と新宿のレズビアンバーに行ってみて思った。【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
普段ストイックに生きている反動か、「ゴミのような男に引っ掛かって、ゴミのように捨てられる」ということが5年に1回くらい起こる。その1回が、2023年末に起こった。死にたくなった。
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どんな状況でも夢は人を強くする【尾崎ムギ子の 転んでも、笑いたい】
2023年11月末、プロレスリング我闘雲舞が運営するプロレス教室「誰でも女子プロレス」(通称「ダレジョ」)に参加してきた。純粋にプロレスを体験したかったというのもあるが、お目当てはコーチの駿河メイ選手。9月に鈴木みのる選手とのシングルマッチを観て以来、わたしはメイ選手にぞっこんなのだ。148cmという小柄な体で、リング内外を縦横無尽に飛び回る。アクロバティックでハイスピード。なによりだれと闘っても“駿河メイの試合”にしてしまうのが本当にすごい。メイ選手の試合を初めて間近で観たとき、びっくりして泣いてしまった。人は天才を目の前にすると泣いてしまう。そんな感じだった。メイ選手直々にプロレスを教えてもらえるとあっては、行かないわけにはいかない。始まるまで怖くてたまらなかったが、どうにか逃げ出さずに会場へ向かった。
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