古の面影が残る熊野街道〜「おじいちゃんは女癖が悪くて・・・」という話も受け継がれる?

この辺りは、今は平地の住宅地だが、昔は大阪湾に面した入江だったと古事記や万葉集に記述されている。 墨江のもう少し北側にある住吉大社は、大陸との交易のために往来する船の安全を祈願する場所だった。また、平安時代中期から鎌倉時代初期にかけて、墨江には和歌山県熊野本宮への参詣道「熊野街道」が南北に延びていたのだが、蟻が列をなすように人々が往来したため「蟻の熊野詣」と言われ、墨江一帯は門前町として栄えたという。風光明媚な港町であったこともあり、当時の官人たちは難波行幸の折に住吉まで遊びに行ったり、住吉の遊女を呼んだりすることもあったそうだ。

時を経て現代になると住吉一帯には鉄道が開通したため住宅地の開発が進み、「大大阪(だいおおさか)」として拡大、大阪市のベッドタウンになった。たこ焼きの香りを背に西に歩みを進めると、駅前には比較的新しい低層階の賃貸マンションが建ち、コンビニやカフェ、訪問介護の事業所などが入っている建物もある。しかし、それも駅前だけで、後は2階建ての小さな家や連棟が身を寄せ合うように建っている。建て替えをしても土地の広さに変わりはないので、庭を持てるようなスペースはない。

ポツポツと長屋も建っている。さらに少し歩みを進め、熊野街道に出ると古の面影が残っている。熊野街道の顕彰碑があり、この地で450年続く願生寺(住吉区墨江4丁目15-15)という寺がある。住職の大河内大博(おおこうち・だいはく)さんはこう語る。 「この辺は都心部や堺市の繁華街へのアクセスが良いのですが、ほどよく田舎っていうのがいいんじゃないですかね。駅も無人駅で、昭和の田舎の風情が残っています。長屋が多かったのですが、8年前に大きな台風の被害を受けて建て替えが進みました。ただ、一人でも住人がいる間は取り壊さずに残しているようです」

通りを歩いていると新築の家もあるが、圧倒的に年季の入っている家が多い。住宅情報のSUUMOで確認すると、なかには築99年以上という賃貸住宅もあった。
「代々ここに住んでいる地元の人が多くて、親子2代、3代、下手したら4代目なんていう人もいます。一番地主さんから分家が派生しているので、そこらじゅう同じ苗字の人がいるんですよ。梶井さん、梶井さん、梶井さんとか、鈴木さんがいっぱいいるという感じです。ですから、寺の周りでは先代の噂話も受け継がれています。『あそこのばあちゃんは意地悪でなあ』とか『おじいちゃんは女癖が悪くて』など(笑)。

昔に比べたら地縁も薄くなりつつありますが、町会加入率は結構高くて、町会対抗の連合運動会のようなものも催されています。半世紀以上続いているドッヂボール大会とかマラソン大会とか、毎月何かしらイベントがあります。大会というと子ども向けのものだと思うでしょう。子ども向けのものが多いのですが、大人向けの大会もあります。メインイベントは16町会対抗のガチの運動会です。朝から夕方までぶっ通しでやります」

ただ、それもだんだん参加者が少なくなってきて、子どもが少なくなっている町会もあるという。それでも地域コミュニティは今でも残っていて、町会の機能は生きているそうだ。年末には必ず「火の用心」と拍子木を鳴らしながら町内を巡回する行事もある。

この街の未来を見据えた時、他の地域と同じように少子高齢化の波は避けられない。寺も改めて帳簿を見ると、檀家が減っていくのが目に見えて分かるという。

「お寺だけでなく地域も大変な時代に入っていくと思いました。寺と地域は一蓮托生なので、例えば私が納骨堂を作ったり、人気のある御朱印を作ったりしても、地域の課題を解決しないと意味がありません。そこで、寺が高齢者や乳幼児の居場所、子どもの居場所になるように考えています。

例えば、地元の農家で採れた食材を使って、中学生が飲食店の新しいメニュー開発をするとか、駅前のカフェで子ども食堂をしているのですが、その子どもたちがご飯を食べた後に寺に来て遊ぶといったこともしています。人と人を繋いで町づくりをすることで、寺の雰囲気も変わってきました。見ず知らずの人が、子ども食堂で使ってくださいと食器や米を持ってきてくれるんです」

都心部でイタリア野菜の農業、常連で賑わう店舗

願生寺を出て、沢ノ町の駅を墨江町とは反対側、東の方に歩くと、駅前には喫茶店やイタリア料理の店、雀荘などがある。すぐそばの国道30号線、片側2車線の大きな道路まで出るとマクドナルドや大手家電量販店が路面沿いにある。ただ、そこも一筋入ると墨江町に似た戸建てがひしめいている。
駅から徒歩7、8分歩くと、なにやら賑わっている場所があった。イタリア野菜や花苗を生産、販売している梶井農園(住吉区南住吉2丁目21-15)だった。なんと、偶然だが、梶井農園の店主梶井俊範さんと願生寺の大河内さんは顔見知りだった。家が近所で父親同士が同級生なのだという。

梶井さんは、隣の南住吉で農家をしていた父親の跡を継いだ。農家といっても作っているのは主にイタリア野菜やハーブ、花苗だ。沢ノ町だけでなく、大阪府南部の河南町にも農地を持っている。看板犬のバームくんが迎えてくれた。
「この辺りは、昔ははるか彼方を走る阪和線の電車が見えるくらい何もなくて、農地が広がっていたそうです。今は家が建って昔に比べたら農地も少なくなりましたが、それでも農家をしている人は結構います」

大阪市は、大阪市の農業を盛り上げていこうと力を入れている。2020年の農林業センサス2020年度版の経営耕地のある実経営件数は、1位の平野区が28軒、住吉区が22件。面積にすると住吉区が1位で15ha、鶴見区が14ヘクタール、平野区が10ha。住吉区は、大阪市の中では1、2を争う農業が盛んな地域と言っていい。貸し農園もあるので、家庭菜園を楽しみたい人にもうってつけだ。

「親父の世代は軟弱野菜といって、ほうれん草や小松菜などの葉物野菜を作っていましたが、スーパーで売っているものを作っても買ってもらえません。私は花苗を作りたくて就農したのですが、バブルの崩壊でだんだん園芸が下火になってきて、ホームセンターの価格にも対抗できず、何かを変えていく必要がありました」

そんな時、ひょんなことで大阪市の経済戦略局の方から、『大阪市はイタリア料理店が多いので、イタリア野菜を作ってみてはどうか』と話を持ちかけられたという。イタリア料理店との付き合いはなかったが、大阪市が店を紹介してくれたので繋がりができ、手応えがあるので梶井さんも楽しくなってきた。店頭に商品を並べると、住民も興味を持ってくれた。

「親父の世代はもう80代で新しいことに挑戦しません。でも、僕らは若手、とはいっても50代ですが、やってみようということになったんです。ここに来てくれる人は近所の人が多いのですが、『道の駅みたいや』と言って、『この野菜は美味しい』とか『こんなふうに料理した』とか教えてくれるんです」

市場に卸したら消費者の顔は見えないが、消費地の中で生産しているとお客さんとの距離が近くなるのでコミュニケーションが生まれる。妻の満理さんもいろいろ料理を研究して、お客さんに使い方を教えている。

梶井農園は大型のスーパーにはない品揃えに加え、町に暮らす人のコミュニケーションの場にもなっている。ひっきりなしにお客さんが訪れて、カラフルな野菜を手に会話が弾む。一般の人に混じって、シェフも買い付けに来る。シェフの中には、採れたてほやほやの土付きのままのハーブを注文する人もいる。扱っている品種は多く、ハウスの中には数えきれないほどの野菜やハーブがある。

前出の大河内さんが中学校に梶井農園を紹介し、学生が授業でメニュー開発をしたので、学校との繋がりも持てた。

満理さんは京都府宇治市の出身だが、土地にはすぐに馴染めたそうだ。店ではママ友さんたちが楽しそうに働いていた。地域のつながりが強いので、それが苦手な人もいるが、概ね問題はないようだ。

温もりあふれる町で、人との縁を紡ぐ

帰路、沢ノ町の駅前の寿司店「一徹(住吉区墨江4丁目5-31)」に寄ってみると、大将は宮崎県から集団就職で大阪にやって来たのだという。31年前に店を開店したが、常連客がついている。
「近くに大型の回る寿司の店もありますが、やはりハレの日や法事の時には桶に入った寿司が必要で、出前の注文が入ります。今はそのパイの奪い合い。個人経営の寿司店が潰れていく中、最後に残ったものが勝つと言われています。派手にもうけなくてもいいので、細く長く、誠実な商売をやっていきたいですね」

墨江町と沢ノ町、南住吉には、今も銭湯が数軒残っている。午後2時くらいに開店すると、自転車や徒歩で次々と近所の高齢者がやってくる。会話を聞くと、「◯◯さん、最近けえへんな」と、まるで安否確認所のようでもある。ある銭湯の店主の後継によると、夕刻から夜間は、会社員や電車で訪れる銭湯ファンもいるらしい。偶然だが、この人も大河内さんの同級生だった。

区役所や図書館のある区域は、公園も隣接されていて、ベンチに腰掛けてくつろぐ人の姿もあった。図書館は平日の昼間でも、ほぼ満席。静かな時が流れていた。

都心部からほど近い大阪の下町。地縁は強いが、決して排他的ではない。新しい人や店も受け入れられる。昔から住む人の代替りと共にどのように変容していくのか。大河内さんは、地域の子どもが帰って来たいなと思える場所にしたいと、子どもたちと画家の中島裕司氏合作の襖絵を描いてもらった。誰でも入りやすい寺にするため、日中は山門を開け放っている。

「うちには門のところに桜の木があるのですが、父が先進的で、桜の季節になるとライトアップしていました。掃除をしていると、見ず知らずの人が『桜を楽しませてもらいました』と声をかけてくれるし、写真を撮る人も多いのですが、インスタを見ると桜がよく見える山門の中には入っていない。もっと入りやすい場所にするため、いろいろ仕掛けて行こうと思っています」

山門を開けて人との縁を紡いでいる大河内さん。寺の財源を地域のために使うことは、将来的に寺が困った時に助けてくれる人への投資だと考えている。大河内さんが手掛ける事業には、頭に「サットサンガ(仲間、集まり)」という言葉がついているが、この町では、サットサンガを持つことで自分の存在価値に気づけるのではないだろうか。