『民生食堂 天平』
民生食堂という、戦時下に存在した〝外食券〟がなければ利用することが出来なかった食堂のひとつである。とにかく〝戦時下〟という言葉が相応しいその外観に注目だ。

錆びた看板、炭化した食品サンプルのショーケース。いい具合にくたびれた暖簾の奥には、引いたらドリフのように建物ごと倒れてしまいそうな入口の引き戸が、なんとか持ちこたえている。

その引き戸を引いて中へ入ると、これまた渋さを超越した空間が広がる。コンクリート剝き出しの床、元の色が分からないほど色あせた壁や天井。使い込まれた木製のテーブルにイス、飾ってあるちょっとした写真たてやポスターが、その異空間度をさらに演出させている。

──完全に、戦時下へタイムスリップしてしまったようだ。

「シュポンッ」と軽い音を鳴らし、軍服姿の……いや、白衣姿のマスターが、瓶ビールを目の前に置く。グラスに瓶を傾けながら、お通し代わりの『ハムエッグ』を頼んだ。

焦がし目の目玉焼きに、コショウが強めにかかる。醤油をひと回ししてかぶりつく。ペラペラなハムではなく、肉厚で食いごたえがあるのがうれしい。思わずライスを追加したくなるところが、さすがは大衆食堂だ。代わりにここは、ビールをキュー。

『アジフライ』
ここに来たら、必ずアジフライだ。普通のアジフライに比べて、衣の色がだいぶ濃いのが特徴。ザクッという音を鳴らして頬張ると、これも独特な風味が味わえる。身に少しクセがあって、でもじんわりと旨味がたっぷりで、どうにも酒を合わせたくなるのだ。私の推測だと、生のアジを使わずに干したアジを使っているのではないかと踏んでいるが……今となっては、それは永久にわからなくなってしまった。

ビールにアジフライ。今は当たり前に食べられる料理も、戦時下の一般人には到底、口にすることが出来ない高級品だったのだろう。それが、時代を超えて味わうことができる場所なんて、こんな食堂や酒場くらい……だっただろう。

『昔、こんなすごい酒場があったんだよ』
『こんなに面白い女将さんがいたんだよ』

災禍で苦境を強いられる酒場を含む飲食業界。今も頑張っている、閉店しまったは関係なく、それでも〝酒場へ飲みに行きたい〟という酒飲みたちの心は絶やしてはいけない。


高円寺「民生食堂 天平」2021年2月・閉店


取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)