今回の“会いに行きたい!”

湯田温泉『西の雅 常盤(ときわ)』大女将の宮川高美さん

太鼓と琴と踊りで魅了する、毎日開催の宿の名物ショー

インターネットでボロクソに叩かれたこともあれば、同業者から後ろ指をさされたことも、一度や二度ではない。

「暗い時代だからこそ、まじめなだけではダメ。ハチャメチャに楽しくて、明るいものをやろうと思うの。文句を言われるほど当たるのよ。ふふふ」

『西の雅 常盤』の「女将劇場」は、大女将と宿スタッフ、山口大学の学生による踊りや太鼓、マジックのショーで、毎夜20時45分から開演する。

大女将・宮川高美さんは81歳。背中は丸く、足元もおぼつかなく見えるが、舞台に立つと顔つきが変わり、背筋はピンと伸びる。

暴れ獅子の格好に扮して、獅子舞のパペットを操る。「衣装は全部、いただきもの」と高美さん。
暴れ獅子の格好に扮して、獅子舞のパペットを操る。「衣装は全部、いただきもの」と高美さん。

芸事に秀でた大女将が、上品に舞い、琴を奏でると思いきや、観客を驚かせる。琴をヘヴィメタルのようにかき鳴らし、網タイツ姿でマジックを披露。

さらに、カツラの下に隠した地毛に墨を塗りつけ、豪快な書道パフォーマンスで締めくくる。水芸でずぶ濡れになり、書道で着物は墨まみれ。まさに全身全霊、体当たりのショーだ。

黒いレオタードと網タイツ姿で、首マジックを披露。
黒いレオタードと網タイツ姿で、首マジックを披露。
髪の毛で習字まで!
髪の毛で習字まで!

1時間20分の全力投球。「蝶々の舞」は糸が見えてネタバレしているのもご愛嬌。

「帽子芸」では湯田温泉出身の詩人・中原中也に扮し、ご当地アピールも忘れない。生着替えでは「色気」でなく「老い」をネタにして笑いに変える。

コミカルな演技は、もはや芸人の域。パワフルな舞台を60年間、ほぼ休みなく作り上げてきたというから頭が下がる。

女将の動きに呼応して、浴衣姿のお客さんは腹を抱えて笑い転げる。一年ぶりに訪れた客は「日本広しといえども、こんなショーをやっている宿はない。クセになる」と大絶賛する。

自在に水を操る「水芸」は、宴会場に青いビニールシートを敷いて行う。
自在に水を操る「水芸」は、宴会場に青いビニールシートを敷いて行う。

山口大学の学生とコラボ。175のオリジナル演目

宿は昭和11年(1936)、骨董店を営んでいた高美さんの祖母が創業した。

「広間が2つだけのわずか12室のボロ宿で、客は少なく、料理人が包丁を持ってメイドさんとケンカを始める。まるでドラマに出てくるような宿でした」

“女傑”と呼ばれた祖母は気が強く、養子である高美さんの父に「出ていけ」と物を投げつけることもあったという。

貧乏宿だったため、経営者といえども両親と姉妹3人が一部屋に暮らし、隣のボイラーの音がうるさくて、勉強もできない環境で育った。それでも両親は「子どもたちが芸事をできるように」と、4歳から琴と踊りを習わせた。

「琴も踊りも大好きだったから、妹たちに教えに来る先生の踊りまで覚えました。夜中にこっそりと、空き部屋でテープを聞きながら練習もしました」

幕末の長州藩士、品川弥二郎を祀った品川神社。その跡地を改装した「維新黎明の湯」。
幕末の長州藩士、品川弥二郎を祀った品川神社。その跡地を改装した「維新黎明の湯」。

成人した頃もなお、宿の経営は厳しく、「何かやらないと宿がつぶれてしまう」と危機感を募らせた高美さんは、20歳で「女将劇場」を始める。従業員5人でチームを結成し、桶を持って踊るとお客さんが大喜びしてくれたことで手ごたえを感じた。

しかし、年配スタッフは覚えが悪く、1年経っても上達しない。「どうしたものか……」と思っていたところに、山口大学の学生が「アルバイトはありませんか?」と訪ねてきた。

「その瞬間、ピカッとひらめいて……。これはいける、とうれしくなりましたね」

以来、1学年5名、全体で20名ほどの学生が順番に下の学年へ、太鼓や踊りを教える体制が40年以上続いている。実は、若女将の好世(よしよ)さんもアルバイトに来た一人で、高美さんの長男と結婚に至ったという。

昭和54年(1979)、SLが復活してやまぐち号が走ったときには、「蒸気機関車の速度が速くなったり、遅くなったりする様子を太鼓で表現したらおもしろそう」と「SL太鼓」の演目を創作。

これまで考案した演目は175におよび、すべて高美さんがゼロから生み出したものだ。ニュース性のある演目を作れば、テレビなどが取り上げてくれた。

朝、お客さんのお見送りをする高美さん(左)と若女将の好世さん。
朝、お客さんのお見送りをする高美さん(左)と若女将の好世さん。
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人生は思ったとおりになる。だから、諦めない

高美さんのモットーは「断わらない」こと。頼まれれば、どこへでも出かけていった。

奇抜な衣装や踊りはすべて高美さんのアイデア。琴のパフォーマンスを見た先生から「二度と見たくない」と破門された苦い経験もあるが、すべてはお客さんに喜んでもらうためだった。

応援してくれる人も多く、衣装はすべてもらいもの。「春になったら花魁(おいらん)道中をやりますが、日本髪のカツラも全部、元美容師さんからいただいたものです」と語る。

夕食はハモ鍋(左)や瓦そば(右上)など山口の郷土の味覚が楽しめる。
夕食はハモ鍋(左)や瓦そば(右上)など山口の郷土の味覚が楽しめる。

過去には、倒産の危機も二度三度あった。

「夜も昼も寝る間もなく働いて、働いて、働いて……。必死で借金を返済しました。この宿に来てくださるお客様のおかげで、いまがあると思っています」

「人は思ったとおりになる。ダメと思えばダメ。成功すると信じれば成功する」——そんな言葉を胸に、困難を乗り越えてきた。

「ご飯は旅館の残り物。子育てはめちゃくちゃでしたけれど、やらなければ奈落の底に落ちる。主人には感謝しかありません」

身重の体で踊ったこともある。宿の経営と並行して空き地に洗車場を作り、日中は洗車の仕事をした。その儲けで融資を引き出し、建物を建て直すこともできた。

学生たちの夜食にカレーやハンバーグを作り、寝るのは朝4時という日もあった。

落ち着いた雰囲気の和室。
落ち着いた雰囲気の和室。
フロントロビーでは維新の志士たちの活躍ぶりを解説。水墨画や書も飾られている。
フロントロビーでは維新の志士たちの活躍ぶりを解説。水墨画や書も飾られている。

「浮き沈みの激しい人生でした。立派な旅館ではないけれど、続けてこられたのは、みんなが助けてくれたから。いいことも悪いことも、楽しかったですね」

周囲への感謝を胸に、高美さんは90歳まで舞台に立つと宣言。「やれるだけやろう」と一所懸命、毎日舞台に立ち続けている。

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おすすめ立ち寄りスポット

国宝 瑠璃光寺五重塔。京と大陸文化の融合。大内文化の最高傑作

日本三名塔の一つ。約70年ぶりの檜皮葺(ひわだぶ)き屋根工事が終わったばかりだ。「令和の大改修が終わって、新しい屋根の五重塔が見られます」と若女将。

『中原中也記念館』夭逝(ようせい)の叙情詩人の人生を辿る

「汚れつちまつた悲しみに……」などの作品で知られる中原中也の生家跡に立つ。自筆の原稿や日記などの資料を通じて、30年の生涯を紹介。

住所:山口市湯田温泉4-6-4/アクセス:JR山口線湯田温泉駅から徒歩10分

取材・文・撮影=野添ちかこ
『旅の手帖』2026年2月号より