今回の“会いに行きたい!”
伊豆高原温泉『チャイニーズオーベルジュ 仙豆飯店(せんずはんてん)』オーナーシェフの田中竜太郎さん
コストが高くても体が喜ぶ調味料を使う
「美食の宿」や「ヘルシー料理を出す宿」は数あれど、ここまで調味料にこだわっている宿は少ない。一般的に中華料理は化学調味料で味を整える印象があるが、この宿では化学調味料は一切使わず、素材のよさと手間隙かけた調理法で勝負する。
例えば、「松阪豚の四川麻婆豆腐」は豚肉なのに赤身にサシが入ったブランド豚・松阪豚を使い、ブロックから包丁で叩いている。三年熟成豆板醤と花椒が旨味を引き立てる一品だ。
国産鶏からコトコト煮込んでとったスープの味わいに、思わず笑みが出る。伊豆ならではの味覚、伊勢海老や金目鯛もこれまで食べたことのある和・洋食とは、ひと味違うものに出合えることだろう。
宿名の「仙豆」は、漫画『ドラゴンボール』に出てくる奇跡の豆から命名。瀕死の仲間を復活させ、一粒で10日間何も食べなくても平気な不思議な豆になぞらえ、体が元気になる“医食同源”の料理を提供する。
料理を支える調味料については、コロナ禍以降は、世界中の17 種類の海塩をブレンドしたミネラル豊富な特別な塩を使い始めた。角がなく、旨味が強く、食材の味を引き立てる。
スーパーの食塩と比べると値段は40倍もするが、「たまたま妻がこの塩に出合って、一度使ったらもとの塩に戻れなくなってしまった。なめた瞬間、体が喜ぶ塩なんです」と竜太郎さん。
町の中華料理店やホテルなどで当たり前のように使われている旨味調味料(化学調味料)の入った粉末スープや半練りの中華スープの素は使わない。
オイスターソースも「無化調」(化学調味料不使用)。料理によっては豆板醤はソラマメと麹、塩で手作りすることもある。やさしい甘みを出すため、白砂糖は使わない。
中華料理の肝となる、揚げる・炒める油は化学溶剤で抽出した市販の植物油ではなく、有機栽培の紅花の種を圧搾したべに花油、同じく圧搾製法のごま油や落花生油を使用する。市販のものと比べると、価格は10〜20倍もするから、こういった油を使う店は少ない。
「手間もお金もかかりますが、脂っこさがなく、胃もたれもしません。家族も安心して食べさせられる料理を出したい」と妥協はしない。
33歳から料理人修業を始め、44歳でオーナーシェフに
20代は食品会社の営業マンとして、業務用のタレを売っていた竜太郎さん。最初の転機は、32歳で伊豆高原・一碧湖(いっぺきこ)近くにある企業の保養所兼ペンションの開業に伴い、支配人になったことだった。
その宿の料理長は『ホテルオークラ』出身の中華の料理人。宿泊施設としては珍しく、中華料理のコースを提供していたが、料理長が病気を理由に退職することになり、竜太郎さんは料理長から1週間の集中特訓を受ける。
こうして33歳のとき、まったくのド素人から中華の料理人として厨房に立つようになる。「包丁の使い方からスープの取り方まで、死にもの狂いで覚えました。師匠は出来合いのものをまったく使わなかったのが、いまにつながっています」
その後は、宿に大工のお客さんが来れば、刃物の研ぎ方を教えてもらうなど、お客さんに育ててもらいながら、料理の腕を磨いていった。
現在の場所に温泉付きのオーベルジュを建てたのは2000年、44歳のときだった。スーパーで手に入る海塩や植物油を使っていたこともあったが、「オーナーシェフでやるなら、コストが上がったとしてもより健康的な食材を使いたい」という思いが強くなっていった。
調味料はもちろん、ショウガやニンニクなどの香味野菜も国産にこだわっている。「味が大きく変わるものではないかもしれません。けれど、体に入れるものですから、何か違うと感じていただけると思うんです」
夕食時には3年、5年、8年、15年と熟成年数を経た、まろやかな紹興酒を飲み比べできるセットを提供。朝食後のコーヒー(有料)も無農薬豆にするなど、すべて竜太郎さんがいいと思うものを選定している。
朝食はやさしい中華がゆ、裏庭では鶏を平飼い
翌朝は、やさしい味わいの広東式中華がゆと、蒸したての饅頭(マントウ)におかずを挟んで食べる、心躍る朝ご飯からスタート。
朝食を食べていると、レストランにまでニワトリの鳴き声が響いていた。裏庭を見下ろすと、青い卵を産む「アローカナ」、世界最大級の「ブラマ」など色とりどりの鶏が遊んでいる。鶏が卵を産んだときは、料理に出すこともあるそうだ。
この日一緒だった宿泊者は、秘湯から高級宿まで泊まり歩く、旅慣れたご婦人で、この宿がイチオシする塩を日常でも愛用していることから泊まりに来たという。
竜太郎さんはオーナーシェフとして宿を営んで25年。プロ御用達、杉本刃物の「中華包丁6号」を研ぎながらともに年月を重ね、この宿の理想とする「食べる人のことを大切に想ってつくる料理」を進化させてきた。
「訪れる人のことを考えながらつくる料理が、本当の愛ある料理だと思います。そんな料理を突き詰めていきたい」
究極の中華料理を味わい、ゆったりと温泉に浸かって心身を整える——。日常とは少しだけ異なる“異日常”の宿がそれを叶えてくれる。
おすすめ立ち寄りスポット
『山幸(やまこう)ひもの店』車なら買いに行きたい“無添加”の干物
伊豆赤沢海洋深層水で手作りした干物は、酸化防止剤、アミノ酸、着色料などを不使用。「干物店は数あれど、無添加は珍しい」と竜太郎さんもおすすめする。
『池田20世紀美術館』一碧湖のほとりで巨匠の名画を鑑賞
ニチレキグループ創業者の池田英一氏の蒐集品を展示する私立美術館。ルノワール、ピカソ、ダリ、シャガールなど西洋絵画の名作が楽しめる。
取材・文・撮影=野添ちかこ
『旅の手帖』2026年1月号より









