今回の“会いに行きたい!”

寺泊温泉『北新館』女将の右近(うこん)弘美さん

日本海の旬の味わいをひと皿に凝縮

午後4時過ぎになると、『北新館』のキッチンは慌ただしくなってくる。夕食を作るのは、女将兼社長の右近弘美さんと熟練スタッフの面々だ。

並べた皿の上に手際よく食材を盛りつけ、くるくるの巻きひげがかわいらしい、ピーテンドリルというハーブを散らしたり、彩りよいソースをつけたりしてひと皿を完成させる。

「ありきたりの旅館料理をやっていては喜んでもらえないから、お客さまの印象に残るものを作りたい」

そう考えて、旅館フードコンサルタントの橋本久信さんに監修をお願いし、2025年の夏、創作会席料理に変更した。

この日の夕食から。「新潟県産和牛ステーキ」。薬味はながも(海藻)のバルサミコソース、わさび、寺泊の塩の3種。
この日の夕食から。「新潟県産和牛ステーキ」。薬味はながも(海藻)のバルサミコソース、わさび、寺泊の塩の3種。
アーモンドの衣がさっくり香ばしい「蟹のクロケット・ウォッカソース」と自家製梅ジュース。
アーモンドの衣がさっくり香ばしい「蟹のクロケット・ウォッカソース」と自家製梅ジュース。

以前から自家製赤しそジュース、梅ジュースなどは手作りしていて食材選びにもこだわっていたものの、いま一つ垢ぬけない。そこで、料理メニューを見直し、お客さんが席についてから一品ずつ出すよう、提供方法も変えた。

「以前からおいしいものを食べてもらいたいという気持ちで頑張っていましたが、料理は見た目も大事。お皿の上に絵を描くような気持ちで作っています」

例えば、海鮮サラダにふわりとのせられたムース状の白い「泡醤油」は、冬の日本海の荒波に見られる「波の花」をイメージしたもの。皿につけた梅肉の赤いソースで“味変”を楽しみながら食べられる工夫を凝らした。

泡醤油がのった「海鮮サラダ仕立て」。
泡醤油がのった「海鮮サラダ仕立て」。

弘美さんは社長業、料理長、女将の一人3役をこなし、常に動き回っている。

「小さな宿なので、できることは全部自分でやらないといけないから、包丁もドライバーも、なんでも使えますよ(笑)」

弘美さんが料理をすることになったのはいまから30年前、36歳の時。社長で料理長だった夫が他界したからだ。小学生の子ども二人を抱えながら死にもの狂いで仕事をした。義母も健在で、手伝ってもらいながらの船出だった。

石油掘削で温泉が湧き出し宿は78年目

日本海に面した港町・寺泊は鎌倉時代以降、順徳天皇をはじめ、藤原為兼や日蓮宗の日蓮上人など、さまざまな人が佐渡に流される前に滞在した場所。その土地に温泉が湧き出したのは、大正11年(1922)のことだ。

寺泊町史をまとめた書籍によると「石油の掘削のため、日本石油(旧・宝田石油)が試掘井(しくつせい)を掘り、818mで37度の湯脈にぶつかった」と記されている。

「最初に噴き出した温泉は80度あったそうですが、のちに37度の塩湯になったと聞いています」

食事処の壁面は地元アーティストがトキやハスの花、周辺の自然をペンキアートで描いたもの。
食事処の壁面は地元アーティストがトキやハスの花、周辺の自然をペンキアートで描いたもの。

林業を営む右近家がこの地に移り住んだのは、昭和初期。昭和23年(1948)に『北新館』を買い取り、旅館業をスタートした。

弘美さんの旧姓も「右近」で、夫とは血縁のない縁戚関係。生家も別の旅館をやっていたから、子どもの頃から疲れて帰ってきた両親をねぎらって、料理を作るのが弘美さんの役目だった。

「子ども心に褒められるとうれしくて、『また作るね』と言っていたのが私の原体験なんです」。いまも「料理を食べてお客さんが喜ぶこと」が一番の励みになっている。

抹茶ムースとタンバル、季節のフルーツを重ねたデザート。
抹茶ムースとタンバル、季節のフルーツを重ねたデザート。

温泉の光と影を背負い、宿とともに生きていく

『北新館』では「金の湯」と「銀の湯」の2種の温泉に入れる。ともに“ぬる湯”なので、ゆったり長湯できるのがいい。

石油掘削とともに湧き出た温泉は薄にごりの「金の湯」。油を溶かし込んだような感触で油臭があり、においも肌ざわりも独特だ。

「戦後に南京虫で皮膚がただれた人が『この湯でよくなった』という評判を聞きつけて、次から次に人が訪れるようになったそうです」と弘美さん。その効能は地元でも有名だったらしい。

床は濃厚な成分を物語るかのように、カルシウム分と鉄分が付着して茶色や白、緑色に変色している。循環利用しているのに、ここまでの個性を保っているのだからおもしろい。

温泉は2種類。黄土色でわずかにうすにごりした「金の湯」(左)と透明な「銀の湯」。「金の湯」は触るとぬめりを感じ、油臭がする。
温泉は2種類。黄土色でわずかにうすにごりした「金の湯」(左)と透明な「銀の湯」。「金の湯」は触るとぬめりを感じ、油臭がする。

2本目の源泉は、もともとは硫黄泉だったが、2004年の新潟県中越地震以降に検査したら、泉質は炭酸水素塩泉へと成分が変わっていたそう。この温泉は無色透明なので「銀の湯」と呼んでいる。重曹と塩の成分でぬめりが強く、ねっとりとした重さも感じられる。

開業当初から平成までは、温泉と分離させた天然ガスを宿の暖房や厨房・ボイラーの熱源として使っていた。その恩恵と背中合わせで、ガスを含む温泉ゆえの管理の難しさも。

夫を失って、慌ただしい日々を過ごしていた弘美さんは38歳の時、天然ガスの水抜き作業中に大やけどを負った。当時は掃除機を使って水抜きをしていたそうで、電気がショートし、ガスと火花で引火してしまったのだ。

「爆風の衝撃で2、3m吹き飛びました。室内のガラスがバリバリと割れたのを覚えています」

鏡をのぞき込むと、髪の毛は焼け焦げ、顔も腕も焼けただれていた。慌てて救急車を呼び、病院で全身、氷の水槽に浸かり、やけどの処置をしたそうだ。お客さんにケガはなく、女将もやけど痕は残ったものの、大事には至らなかった。

この宿で唯一、温泉浴槽が付いた客室「のどか」の半露天風呂。総檜造りの湯船から外の景色が楽しめる。
この宿で唯一、温泉浴槽が付いた客室「のどか」の半露天風呂。総檜造りの湯船から外の景色が楽しめる。

そんな日々をともに過ごし、宿を切り盛りするのは、夫の妹である藤田光恵さん、弘美さんの娘の右近菜芳(なか)さん。女性3人で経営する宿とあって、ほっとできる温かみがこの宿の一番の魅力だろう。

売店ではアジアの輸入雑貨を扱う。プラカゴバッグや、近隣のハンドメイド作家の一点ものの作品も並んでいる。料理はもちろん、土産物も小さな宿ならではの一期一会の出会いがうれしい。

左から女将の夫の妹・藤田光恵さん、女将の右近弘美さん、女将の長女・右近菜芳さん。
左から女将の夫の妹・藤田光恵さん、女将の右近弘美さん、女将の長女・右近菜芳さん。
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港町の味覚と歴史を体感しよう!

「寺泊魚の市場通り(魚のアメ横)」新鮮で安い魚介をお土産に買う

国道402号沿いに11の鮮魚店が立ち並び、新鮮な海産物を購入できる。イカやホタテの浜焼きなど、食べ歩きしながら散策するのも楽しい。

「史跡めぐりガイドツアー」北前船に思いを馳せ寺泊の歴史を学ぶ

豪族・五十嵐氏の屋敷跡『聚感園(しゅうかんえん)』や白山媛神社(しらやまひめ)などをガイドとめぐる。所要約1時間。1回1000円(3日前までに寺泊観光協会☎0258-75-3363へ要予約)。

住所:新潟県長岡市寺泊年友1039/アクセス:JR越後線寺泊駅から車8分(送迎あり、要予約)

取材・文・撮影=野添ちかこ
『旅の手帖』2025年12月号より