今回の“会いに行きたい!”
2代目の黒岩哲生さん・館主の黒岩平八郎さん
万座温泉 湯の花旅館 (群馬県嬬恋村)
標高1800m。通年車で行ける温泉地のなかで、最高所にある万座温泉。湯の花旅館はその最奥にある。
昭和30年代にプリンスホテルが進出し、スキーリゾートのイメージが強いが、もともとは湯治場。湯の花旅館は自炊・半自炊にも対応する昔ながらの湯治宿だ。
「これは不思議だ!」 湯治客が感嘆する風呂とは
ここには「さるのこしかけ風呂」という珍しい風呂がある。日本一の硫黄含有量といわれる万座の硫黄泉に、漢方薬にも使われるキノコ・サルノコシカケの薬効エキスが溶け込んだ薬湯風呂だ。源泉枡に大小30以上のサルノコシカケと、同じく漢方の材料になるマツフジという、温熱効果が高い木のツルが投入されている。
この風呂を考えたのは、館主の黒岩平八郎さん。松屋ホテル(現在は廃業)を経営していた黒岩家に25歳のときに婿入りした。実家は県内水上温泉のだいこく館で、8人兄弟の八男だった。
「県の薬務課から、硫黄泉はリンパ球を増やす効果があると聞いていたので、サルノコシカケに含まれる制ガン効果のある『β‐グルカン』をプラスするともっといいんじゃないか、と浴槽に入れてみたんです。入ってみるとよく温まるし、温泉を飲んだら酒にも酔わない。これはすごいと思いましたね」
この風呂を造ったのは、母親を胆のうガンで亡くした際、兄から「サルノコシカケはガンにいい」と聞いたのがきっかけだった。湯の花旅館が松屋ホテルから分家した創業2年目、昭和58年(1983)のことだ。
湯治客からは、「血糖値が下がった」「ガンの手術前に湯治して、最終的に切らずにすんだ」「ひどいアトピーが2週間で改善した」という体験談も。テレビ番組にも何度も取り上げられた。
「番組を監修した医師が言うには、『火山帯の植物は有機ゲルマニウムが豊富』だから、健康効果が高いようです」と平八郎さん。
サルノコシカケを探しに 雪山を4~5時間歩き回る
宿の前に広がる斜面は、昭和62年(1987)公開の映画『私をスキーに連れてって』に登場した「朝日山ゲレンデ」(2011年の計画停電により閉鎖)。多くのスキー客が訪れた一方で、一帯は野生のキノコの宝庫でもある。この地に住む人たちは、昔からサルノコシカケを神棚に飾るほど大事にしていた。
2代目の哲生さんは、小学生の頃から父とともに山に出かけていた。数年前に平八郎さんが体調を崩して以降は、一人でサルノコシカケを探す。
「笹藪が雪で隠れる冬、雪が締まった2~3月の天気がよい日に出かけます」
4~5時間歩き回り、リュックいっぱい採って、宿に戻る。20㎏以上にもなるリュックの重みにへこたれそうになることもあるが、1シーズンに3~5回山へ行き、採りためたサルノコシカケは湯船で3カ月ごとに入れ替える。
自然の恩恵を受ける宿だから メンテナンスは四苦八苦
自然の恩恵の反面、強酸性・高温の泉質と厳しい自然環境ゆえに、施設の管理には手がかかる。
「テレビやスマホは2~3年でダメになる」と哲生さん。
2020年、本白根山の噴火で客が激減したのに追い打ちをかけ、温泉ポンプが壊れた。修繕費用は400万円。支援金を募り、常連客を中心に約230万円を集めることに成功。存続の目途が立った。しかし最近、雪の影響か浴室の床が沈み込んで斜めになるなど、新たな問題も浮上中だ。
小さな宿なので接客、料理、清掃はすべて家族だけ。料理を作るのも哲生さんの仕事だ。食材は山にある。春はタケノコ、フキノトウ、タラの芽、コシアブラ、秋にはハナイグチ(ジコボウ)、花びら茸などが夕食に並ぶ。
「ウドは勝手口を出て、5分で天ぷらにできます。往復1時間も歩けば、リュックいっぱい採ってこられます」
哲生さんが宿の業務を担うようになってからの21年間は、ほぼ休みなし。
「用事があるときは出かけますが、休みという感覚もありません」
そんな実直な人柄だから、長年通う常連さんが多い。4世代で貸し切りにする人もいる。「きれいなホテルには行き飽きた。建て替えたら、もう来ないよ」
そんな常連さんのために、今日も湯治宿を守り続ける。
湯の花旅館の詳細
取材・文・撮影=野添ちかこ
『旅の手帖』2023年5月号より