今回の“会いに行きたい!”

2代目の黒岩哲生さん・館主の黒岩平八郎さん

万座温泉 湯の花旅館 (群馬県嬬恋村)

標高1800m。通年車で行ける温泉地のなかで、最高所にある万座温泉。湯の花旅館はその最奥にある。

昭和30年代にプリンスホテルが進出し、スキーリゾートのイメージが強いが、もともとは湯治場。湯の花旅館は自炊・半自炊にも対応する昔ながらの湯治宿だ。

万座温泉のなかでも最も高所に立地。山小屋風の佇まいが青空に映える。
万座温泉のなかでも最も高所に立地。山小屋風の佇まいが青空に映える。
落ち着いた雰囲気の和室で、4.5~10畳まで大きさはさまざま。トイレ・洗面所は共同。
落ち着いた雰囲気の和室で、4.5~10畳まで大きさはさまざま。トイレ・洗面所は共同。
男女混浴の露天風呂は基本裸で入るが、タオル巻きもOK。
男女混浴の露天風呂は基本裸で入るが、タオル巻きもOK。
illust_9.svg

「これは不思議だ!」
湯治客が感嘆する風呂とは

ここには「さるのこしかけ風呂」という珍しい風呂がある。日本一の硫黄含有量といわれる万座の硫黄泉に、漢方薬にも使われるキノコ・サルノコシカケの薬効エキスが溶け込んだ薬湯風呂だ。源泉枡に大小30以上のサルノコシカケと、同じく漢方の材料になるマツフジという、温熱効果が高い木のツルが投入されている。

この風呂を考えたのは、館主の黒岩平八郎さん。松屋ホテル(現在は廃業)を経営していた黒岩家に25歳のときに婿入りした。実家は県内水上温泉のだいこく館で、8人兄弟の八男だった。

「県の薬務課から、硫黄泉はリンパ球を増やす効果があると聞いていたので、サルノコシカケに含まれる制ガン効果のある『β‐グルカン』をプラスするともっといいんじゃないか、と浴槽に入れてみたんです。入ってみるとよく温まるし、温泉を飲んだら酒にも酔わない。これはすごいと思いましたね」

この風呂を造ったのは、母親を胆のうガンで亡くした際、兄から「サルノコシカケはガンにいい」と聞いたのがきっかけだった。湯の花旅館が松屋ホテルから分家した創業2年目、昭和58年(1983)のことだ。

湯治客からは、「血糖値が下がった」「ガンの手術前に湯治して、最終的に切らずにすんだ」「ひどいアトピーが2週間で改善した」という体験談も。テレビ番組にも何度も取り上げられた。

「番組を監修した医師が言うには、『火山帯の植物は有機ゲルマニウムが豊富』だから、健康効果が高いようです」と平八郎さん。

壁も天井も浴槽もすべて木造りの内風呂「延喜の湯」。左側の木の枡にサルノコシカケが入っている。(写真:杉本 圭)
壁も天井も浴槽もすべて木造りの内風呂「延喜の湯」。左側の木の枡にサルノコシカケが入っている。(写真:杉本 圭)
illust_9.svg

サルノコシカケを探しに
雪山を4~5時間歩き回る

宿の前に広がる斜面は、昭和62年(1987)公開の映画『私をスキーに連れてって』に登場した「朝日山ゲレンデ」(2011年の計画停電により閉鎖)。多くのスキー客が訪れた一方で、一帯は野生のキノコの宝庫でもある。この地に住む人たちは、昔からサルノコシカケを神棚に飾るほど大事にしていた。

2代目の哲生さんは、小学生の頃から父とともに山に出かけていた。数年前に平八郎さんが体調を崩して以降は、一人でサルノコシカケを探す。

「笹藪が雪で隠れる冬、雪が締まった2~3月の天気がよい日に出かけます」

4~5時間歩き回り、リュックいっぱい採って、宿に戻る。20㎏以上にもなるリュックの重みにへこたれそうになることもあるが、1シーズンに3~5回山へ行き、採りためたサルノコシカケは湯船で3カ月ごとに入れ替える。

サルノコシカケを採りにいくのは、笹が雪で隠れる冬の間。スノーシューを履いて、裏山へと出かける。
サルノコシカケを採りにいくのは、笹が雪で隠れる冬の間。スノーシューを履いて、裏山へと出かける。
大きなものでは直径50cm。過去に収穫したお宝級のサルノコシカケが、フロントの棚に無造作に置かれている。
大きなものでは直径50cm。過去に収穫したお宝級のサルノコシカケが、フロントの棚に無造作に置かれている。
illust_9.svg

自然の恩恵を受ける宿だから
メンテナンスは四苦八苦

自然の恩恵の反面、強酸性・高温の泉質と厳しい自然環境ゆえに、施設の管理には手がかかる。

「テレビやスマホは2~3年でダメになる」と哲生さん。

2020年、本白根山の噴火で客が激減したのに追い打ちをかけ、温泉ポンプが壊れた。修繕費用は400万円。支援金を募り、常連客を中心に約230万円を集めることに成功。存続の目途が立った。しかし最近、雪の影響か浴室の床が沈み込んで斜めになるなど、新たな問題も浮上中だ。

小さな宿なので接客、料理、清掃はすべて家族だけ。料理を作るのも哲生さんの仕事だ。食材は山にある。春はタケノコ、フキノトウ、タラの芽、コシアブラ、秋にはハナイグチ(ジコボウ)、花びら茸などが夕食に並ぶ。

「ウドは勝手口を出て、5分で天ぷらにできます。往復1時間も歩けば、リュックいっぱい採ってこられます」

哲生さんが宿の業務を担うようになってからの21年間は、ほぼ休みなし。

「用事があるときは出かけますが、休みという感覚もありません」

そんな実直な人柄だから、長年通う常連さんが多い。4世代で貸し切りにする人もいる。「きれいなホテルには行き飽きた。建て替えたら、もう来ないよ」

そんな常連さんのために、今日も湯治宿を守り続ける。

幻のキノコ・花びら茸。一日中歩いても見つからないときもある。
幻のキノコ・花びら茸。一日中歩いても見つからないときもある。
初夏には根曲がり竹も山で採ってきて、焼いたり、煮物にして夕食に。
初夏には根曲がり竹も山で採ってきて、焼いたり、煮物にして夕食に。
鴨肉とマイタケ、ナメコ、ネギの鍋。地元の食材がたっぷり。
鴨肉とマイタケ、ナメコ、ネギの鍋。地元の食材がたっぷり。
花びら茸のバター炒めや酢の物などヘルシーな夕食を囲炉裏端で。
花びら茸のバター炒めや酢の物などヘルシーな夕食を囲炉裏端で。

湯の花旅館の詳細

住所:群馬県嬬恋村干俣万座温泉2401/アクセス:北陸新幹線軽井沢駅からバス1時間48分の万座バスターミナル下車、車5分(宿泊者のみ万座バスターミナルから送迎あり、要予約)

取材・文・撮影=野添ちかこ
『旅の手帖』2023年5月号より