今回の“会いに行きたい!”

深谷温泉『元湯石屋』9代目館主の石屋誠一さん

鏡板に描かれたのは「七・五・三」の松

静かな里山の一軒宿。
静かな里山の一軒宿。

一年じゅう、青々と茂る松は不老長寿や生命力の象徴。鏡板に描かれた松を背に、9代目の石屋誠一さんが「こうやって、扇子を立てて謡うんです」とお謡いの姿勢をとってくれた。

誠一さんが能を習い始めたのは36歳の頃。ある日、父の旧制中学の同級生が訪れた。彼は、加賀宝生流のまとめ役をしていた佐野正治氏のお弟子さんだった。

その人から「せっかくこんないい舞台があるんだから、使ったらいいんやないか」と言われたのをきっかけに、昭和50年(1975)、土台や屋根などはそのままに、橋掛かりや鏡の間などを締め直した。

6代目が大正6年(1917)に造った野外の能舞台。
6代目が大正6年(1917)に造った野外の能舞台。

能の世界とつながりができて「習いに来たらどうですか?」と誘われ、現在、能楽協会の北陸支部長を務める佐野由於(よしお)氏に師事することになる。

『元湯石屋』の能舞台は、6代目の石屋仁左衛門が「初孫がすくすく育つように」との思いを込めて、大正6年(1917)に造った。

「よその舞台の松はもっとにぎやかですが、うちのはシンプル。でも、おめでたい意味が隠れているんです」

三つの松には「七・五・三」の数が隠れている。この松には孫のすこやかな成長を願う祖父の思いが込められている、というわけだ。

一般的な3間(約5.5m)四方より少し小さなサイズで、材質は能登の「アテ(ヒノキアスナロ)」。吹きさらしの屋外にあるが、絵は大正時代のまま残っている。

独自の感性で力強い絵を描く画家・佐藤勝彦氏の絵がロビーに飾られているほか、夕食時の敷物に。
独自の感性で力強い絵を描く画家・佐藤勝彦氏の絵がロビーに飾られているほか、夕食時の敷物に。

8代目は能には興味をもたず、骨董品や書画の収集を趣味にしていたそうだが、6代目の願いが通じたようで「80代になってから茶道を始め、亡くなる間際まで頭もボケず、104歳で大往生した」という。

大正時代は金沢の旦那衆が芸妓(げいこ)を連れて、人力車で温泉地に遊びにきていた。芸事やお茶を嗜んで一人前といわれた経済人たちと交流があった6代目は、骨董品を見る目にも長(た)け、年代物の書画がいまも季節ごとに館内を彩る。

「日本画の掛け軸など古いものがたくさんありますので、四季折々、床の間の掛け替えをしています」

月2回、「お謡い」を習い開湯200年で「薪能」を開始

実は「初めは、渋々習いに行っていた」誠一さんだが、お芝居の状況説明を抑揚をつけて朗々と謡い上げる「謡曲」を習ううち、能の奥深さに目覚める。ただ、能のシテ(主役)のクライマックス部分を舞う『仕舞』は難しくて3カ月でやめてしまった。

社長業をこなしながら月に2回の稽古は、何度もやめたくなったそうだが、能舞台がある宿だけに、逃げるわけにもいかない。そうして、客に解説できるくらい、能に詳しくなっていった。

「能の役者が鏡の間から進み出るこの通路は橋掛かりといいます」「橋掛かりに掛かる揚げ幕から出る人は出演者の約半分。謡曲を謡う人は別の出入り口を使います」「この舞台の下には大きな甕(かめ)が埋められていて、足を踏み鳴らしたときに反響するようにできているんですよ」

そんなうんちくをイベントで披露することもある。

能舞台の「鏡の間」(控え室)に置かれたヨーロッパ製のアンティークの鏡。
能舞台の「鏡の間」(控え室)に置かれたヨーロッパ製のアンティークの鏡。

創業は江戸・寛政年間(1789〜1801)。開湯200年を記念して、1989年から30年にわたり、かがり火を焚いて、佐野由於氏や金沢能楽会のメンバーが野外の能舞台で舞う「深谷薪能の夕べ」を主催してきた。

コロナ禍で中断したが、2023年にはコロナ禍からの「復興記念イベント」として実施。「加賀宝生流」という加賀藩の藩主も代々愛好してきた、地域の伝統芸能を守るハブとしての役割も担っている。

豪商の別荘を移築した「孔雀(くじゃく)の間」。
豪商の別荘を移築した「孔雀(くじゃく)の間」。

館主と女将が選んだアンティーク家具を客室に

植物が長い年月をかけて堆積・分解された泥炭層から湧き出る、琥珀(こはく)色のモール泉。有機物を多く含み、トロリとした湯ざわりで肌がスベスベに。
植物が長い年月をかけて堆積・分解された泥炭層から湧き出る、琥珀(こはく)色のモール泉。有機物を多く含み、トロリとした湯ざわりで肌がスベスベに。

書画や骨董、古銭の収集に勤しんできた先祖の血を引く誠一さん。「私も古いものが好きで、館内の家具は自分で買い集めたものです」

蔵を改装した離れの特別室「天保蔵」に置かれた英国のメインテーブルとイスは18年ほど前、滋賀県信楽の輸入家具工房で探してきた。朝鮮の古い家具は岐阜県高山の骨董店で出会ったもの。

「女将は西洋アンティーク、私は日本の古い家具が好きで、好みは異なりますが、一つの部屋に合わせると不思議と調和するんです」

客室や食事処に置かれた屏風や書画も見ごたえがあり、季節を感じる室礼は骨董好きのみならず日本文化を身近に感じられ、わざわざ泊まりに行く価値がある。

最近は海外からの客で3~4カ月前に予約で埋まってしまうため、早めの予約が必須。館主との能談議を楽しみに訪ねたい。

天保元年(1830)に造られた白漆喰の土蔵をメゾネットタイプの客室に改装した「天保蔵」。
天保元年(1830)に造られた白漆喰の土蔵をメゾネットタイプの客室に改装した「天保蔵」。
郷土料理の治部(じぶ)煮をはじめ、日本海で水揚げされた魚、加賀野菜を使った会席料理。
郷土料理の治部(じぶ)煮をはじめ、日本海で水揚げされた魚、加賀野菜を使った会席料理。
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歩いて見つけた立ち寄りスポット

『蕎麦 穂乃香』築100年の古民家で香り高いそばを

ハス畑の中に佇む古民家そば店。福井県今庄町のそば粉を使った九一そばを、庭を眺めながらいただける。

『髙木糀(こうじ)商店』杉の木樽で醸したこだわり味噌を造る

天保年間(1831~1845)創業の麹店は娘さんの嫁ぎ先。宿で使う味噌はここのもの。店舗は市の保存建造物で一見の価値あり。

住所:石川県金沢市深谷町チ95/アクセス:IRいしかわ鉄道森本駅から車7分

取材・文・撮影=野添ちかこ
『旅の手帖』2025年7月号より