今回の“会いに行きたい!”
氷見温泉『湯の里いけもり』女将の池森典子さん
能登の復興があってこそ、氷見の観光も発展する
「子どもの頃から『落ち着きがない』って言われていました。いまもついつい動き回っちゃう性分なんです」
女将の池森典子さんは嫁いだ『湯の里いけもり』の営業だけにとどまらず、2軒目、3軒目とタイプの違う宿を開業した。しかもここ数年のうちにだ。
それは「大好きな氷見の町を活性化させたい」「この町の魅力を多くの人に知ってもらいたい」との思いからだった。
2024年元日、能登半島が地震に見舞われた日、典子さんは宿の惨状を目のあたりにして、茫然自失となった。
宿は12日間の休業中で人的被害はなかったものの、壁は崩れ、時計の針は時を刻むのをやめた。大切にしていたワインや皿も割れ、テレビは棚の上から滑り落ちていた。そして断水。もちろん営業はできない。
“天然の生け簀”といわれる富山湾。なかでも氷見沖は豊かな漁場で、冬はノドグロ、春はイワシ、夏はマグロなどのおいしい魚を求めて多くの人が押し寄せる。しかし、地震であらゆるものがストップしてしまった。
「心が追いつかなくて、何から手をつけたらいいのか、わからない状況だった」と振り返る。
そんななかでも典子さんは、未来に向かって行動していた。訪ねた2024年3月は『湯の里いけもり』で仮設住宅の復興支援業者の宿泊を受け入れている最中で、典子さんは広域観光圏「昇龍道」のPRを行うために前日まで台湾にいたのだ。
「昇龍道」とは、名古屋から北陸へ至る観光エリアを「ドラゴンルート」と名づけ、台湾や香港、アメリカへ向けてPRする取り組みで、和倉温泉『多田屋』会長の多田邦彦さんが2010年頃に発案したもの。ハーレーダビッドソンに乗ってめぐるツーリングコースなどを提案してきた。
典子さんはそんな活動にも携わるなかで「能登の復興なくして氷見の発展はない」と実感し、能登の復興のために宿を提供した。
「なーんもない」を払拭したい。ゲストハウスからにぎわいを
『湯の里いけもり』の創業は1989年。創業者はもと左官業だったが、あるとき近くの病院から「敷地内から温泉が出るはず」と言われて掘削すると、本当に温泉が出てきた。塩分が強く、よく温まるヒスイ色の温泉を目あてに、浴客が訪れるようになる。
さらに「うどんでも食べさせてくれ」と言われて料理上手な大女将がうどんを提供し始め、「泊まりたい」というお客さんの要望にこたえて民宿を始めた。
典子さんが『湯の里いけもり』へ嫁に来たのは1994年、21歳のとき。もともと氷見で生まれ育った彼女は、氷見愛が人一倍強く、地域を盛り上げたいという思いをずっともっていた。当初は家族に遠慮していたが、40歳を過ぎた頃から「好きにやろう」と地域の活動を始めた。
氷見にはおいしい店が多いが、地元の人は「なーんもない」が口グセ。商店街は歯が抜けるように空き店舗が増え、シャッター街化していた。
氷見を知ってもらうために、地元とお客様をつなげるためのバーでもあるといいのに——。
「誰かやってくれないかな」と思っていたけれど、誰もやらない。だったら、自分でやろうと思い立った。家族からは「スナックがやりたいのか?」とまったく理解されなかったが、自分を信じて6年前、元時計店だった場所に日本酒バー併設のゲストハウス『蔵ステイ池森』をオープンさせた。
「その建物は潮風通り商店街の中心地にあって、かわいい窓が付いていて、『ビビッときた』」のだという。偶然にも、大家さんは兄の空手の弟子だった。魚市場の食堂まで歩いて10分の好立地。
バーには井波彫刻の欄間を飾り、富山の希少酒を出す。町なかの店を訪れてほしいから、あえて食事はなしのスタイル。移住してきたほかの店の人たちとも連係し、地元客と観光客をつなぐハブとして、にぎわいづくりの一翼を担う。
俳優の紺野美沙子さんの夫で、元TBSプロデューサーの篠田伸二さんが氷見市の副市長に就任すると、彼の人脈も影響し、ローカルな漁師町のよさと安くておいしい氷見の地酒・ワインを味わいに、東京から多くの人が訪れるように。
「県外の人は氷見のおいしい食に満足して、何度も訪れてくれるはず」という典子さんの目論見は当たった。
未来を見据えたさらなる挑戦。ユニバーサルな高級宿も
2022年には、民宿の宴会場があった場所に富裕層をターゲットにした『湯の里いけもり別館 天座AMAZA(アマザ)』を開業した。宿泊料金は6万円超え、客室は2室のみ、バリアフリーの貸切風呂をもつ新たな宿の誕生である。
日本家屋のよさを生かした高い天井にむきだしの梁や小屋束が味わいを添える。
料理には氷見の野菜をたっぷりと使い、オリジナルの発酵調味料や香草が食材独自の風味を引き立てる。
家具類は素材にこだわり、肌に触れるものは、ハトムギのぬか油を配合したパジャマや30億年前のバクテリアを使った肌の弱い人でも安心して使えるシャンプーなどにした。
高級宿なのにミニキッチンや洗濯機を備えたのも、長期滞在のインバウンド客が増えるだろうという直感に従ったから。器は輪島塗や越中瀬戸焼の作家もの。こだわりを詰め込んだ。
さまざまな層に地域の魅力を伝え、にぎわいを呼ぶため、典子さんのさらなる挑戦はこれからも続く。
大女将おすすめ! 立ち寄りスポット
ここにしかない味がずらり。「氷見漁港場外市場 ひみ番屋街」
富山湾越しに立山連峰を望む絶好のロケーションで、海の幸のランチと土産物を。鱒寿司やホタルイカの黒作りなど、氷見ならではの名産品がそろう。
熱気あふれる駆け引きの醍醐味「氷見漁港の朝セリ」
氷見漁港のセリは予約なしで2階テラスから見学できる。朝6時から、日曜・祝日および市場の指定日以外は毎朝行われているので、早起きして出かけてみよう。
『湯の里いけもり』の詳細
取材・文・撮影=野添ちかこ
『旅の手帖』2024年6月号より