今回の“会いに行きたい!”

支配人の大建(おおだて)宗徳さん・女将の大建ももこさん

金田一温泉 おもてなしの宿 おぼない(岩手県二戸市)

「ももちゃんの顔を見にきたよ」

出入りの業者さんも常連のお客も、女将を「ももちゃん」と呼ぶ。ももこさんは愛されキャラの人気者。フレンドリーな性格でお客との距離が近いのも特技のうち。だが、結婚を機に越した当初は人見知りで、そつなくこなすことだけを考えていたという。そんな彼女に転機が訪れた。

「人生最後の旅行で思い出の地をめぐるご夫婦に出会ったときに、ただこなすだけの人生って、何の意味があるんだろうと……。そこから、お客様とめちゃくちゃコミュニケーションをとるようになったんです」

掲示物はすべて直筆。「ブログやYouTubeはやっていません。アナログオンリーです」と、ももこさん。
掲示物はすべて直筆。「ブログやYouTubeはやっていません。アナログオンリーです」と、ももこさん。
無色透明の湯が注がれる男湯。
無色透明の湯が注がれる男湯。
客室は落ち着く和室がメイン。
客室は落ち着く和室がメイン。

チャーミングな女将が全力でコミュニケーション

ももこさんとのおしゃべりを楽しみにやってくる常連客は多く、宿で出会った人同士が、次は一緒に泊まりに来るなど、親密さは客同士にも波及する。この宿を好きな人たちが集まって「チームおぼない」なるものも結成されているとか。

一方、宗徳さんは「シェ・イノ」など、東京のフレンチの名店で修業した料理人だ。20代後半から30代前半まで、オーナーとしてイタリアンレストランも経営していたという経歴をもつ。

そんな2人が出会い、結婚。コロナ禍の年、新たなおぼないの形を築こうと食事処をリニューアルした。音楽はジャズを流し、食事処の出入口には古民家から持ってきた漆塗りの木の引き戸をはめ込み、暖色系の照明を手作りした。料理は郷土の味覚を大切にした和の会席料理。たまに常連さんからリクエストされて洋食を作ることもある。

150年前に作られた浄法寺塗の器で会席料理を出す。日本酒は南部美人、ひっつみ鍋や短角和牛のローストビーフ、金田一産のアユの塩焼きなど郷土の味を。7月後半~8月前半はアユの天然ものをお造りでいただける。
150年前に作られた浄法寺塗の器で会席料理を出す。日本酒は南部美人、ひっつみ鍋や短角和牛のローストビーフ、金田一産のアユの塩焼きなど郷土の味を。7月後半~8月前半はアユの天然ものをお造りでいただける。
ももこさんが季節の植物を描いた金屛風の前で、夕食をいただく。タイ・チェンマイで造られたテーブルはチーク材。
ももこさんが季節の植物を描いた金屛風の前で、夕食をいただく。タイ・チェンマイで造られたテーブルはチーク材。

座敷わらしの里では人と人のご縁がつながる

江戸時代に南部藩の指定湯治場だった金田一温泉郷。出会うと幸運が訪れるという座敷わらしの伝説が残る。周囲にはのどかな田園風景が広がり、肥沃な土地にりんごやブルーベリーなど果樹の花が咲く。

「座敷わらしは『緑風荘』が有名ですが、近隣の宿でも目撃情報はあるんですよ」とももこさん。

座敷わらしの正体は科学的に検証されていないものの、宿に嫁いでから13年間に、不思議なことはたくさんあったそう。

例えば、漆器の町だから「器をそろえたい」と思っていたら、代々続く旧家の蔵を壊すからと150年前に作られた浄法寺塗(じょうぼうじぬり)のお膳のフルセットを譲ってもらったり、音楽イベントを始めたらピアノをくれる人が現れたり……。「金田一温泉郷には小さな鳥居や神社が多いから、さまざまなご縁がつながりやすい場所じゃないかと思うんです」とももこさん。

女将の座右の銘は、相田みつをさんの「やれなかった やらなかった どっちかな」という詩。言い訳をせず、行動するのが信条だ。

サービスで貸し出される浴衣を着て、座敷わらしに変身! お子さんの写真を送ってもらい、館内に展示する。
サービスで貸し出される浴衣を着て、座敷わらしに変身! お子さんの写真を送ってもらい、館内に展示する。

コロナ禍でお客と話せなくなった代わりに、食事処のテーブルにハガキサイズのショートストーリーを置き、交流を図るようにした。イラストも文章もすべてももこさんの直筆。

コーヒーを飲むときにでも1話ずつ読めるような長さです。この本を読んで、おぼないを思い出してほしい」と2023年、小冊子にまとめ、自費出版した。

冊子の中には、ももこさんが“おぼないファミリー”と呼ぶ約60名の常連さんの顔も描かれている。イベント時には飛行機で北海道から来てくれる人もいるほど、お客と親密な関係を築いている。

ショートストーリーを80編まとめ、2023年に冊子化。
ショートストーリーを80編まとめ、2023年に冊子化。
かわいらしいタッチで描かれたももこさん作の金田一温泉郷てくてくマップ。
かわいらしいタッチで描かれたももこさん作の金田一温泉郷てくてくマップ。

家族の理想を詰め込んだ
一日1組のグランピング

2022年、旅館の敷地内にグランピング施設「 YUDA SPACE」を開業した。一日1組の限定だ。

場所は、先代がお客においしいそばを食べてもらおうと、そば畑を作り水車小屋やそば打ちの小屋を建てた裏庭。使わなくなった冷蔵庫や洗濯機を置く物置小屋のようになっていた場所だったのだそう。

コロナ禍で休業し、自分たちも元気を取り戻そうと、敷地内でキャンプをしたのがそもそもの始まりだったという。

「整備をしたら驚くほどきれいな場所になったんです。マスクをとって、木や草の匂いをかいだのも久しぶりでした。この解放感をお客様にも味わってほしいなと思いましたね」と振り返る。ニホンカモシカが来たり、ホタルが飛んだり、自然環境豊かな場所である。

2022年にオープンしたグランピング施設は、宗徳さんとももこさんのDIY。夜はライトアップされて幻想的に。
2022年にオープンしたグランピング施設は、宗徳さんとももこさんのDIY。夜はライトアップされて幻想的に。

夕食はシェフである宗徳さんが決めるおまかせメニューで、家族構成や好みに合わせて準備する。

「人が対応しないキャンプ場も多いですが、うちは天気予報と風の向きを見て、テントを張ります」

キャンプインストラクターの資格をもつ宗徳さんが、トータルな楽しみ方を指南する。

もともとカヤックやバイク好きでアウトドア派の宗徳さんの知識と経験を生かして、すぐ横の川でカヤックやSUPを楽しみ、焚き火を囲む。三世代旅行で来た人が祖父母だけ旅館に泊まったり、犬をドッグランで走らせたりすることもできる。

提供するメニューはすべて、自分たちのいいなを形にしたもの。今後、フィンランドサウナもオープンする予定だ。

「お客様がうれしいか、楽しいか」が行動の原点。家族やグループで楽しむアウトドアの新スポットとして、注目を集めそうだ。

「YUDA BASE」オープン中の毎週土曜には、宿泊者が参加できる「焚火クラブ」を開催。
「YUDA BASE」オープン中の毎週土曜には、宿泊者が参加できる「焚火クラブ」を開催。
そば打ちのためのスペースを改装し、フィンランドサウナのオープンも目指している。
そば打ちのためのスペースを改装し、フィンランドサウナのオープンも目指している。

おもてなしの宿 おぼないの詳細

住所:岩手県二戸市金田一湯田43-5/定休日:「YUDA BASE」は冬期休業/アクセス:IGRいわて銀河鉄道金田一温泉駅からバス5分の金田一温泉郷下車、徒歩5分

取材・文・撮影=野添ちかこ
『旅の手帖』2023年7月号より