今回の“会いに行きたい!”
3代目の二宮謙児さん・博美さん
湯平温泉 旅館 山城屋 (大分県由布市)
細い路地が迷路のように入り組むのどかな雰囲気の温泉街。旅館 山城屋は、世界最大の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」でここ数年、九州1位のランキングを保持する人気宿だ。
穏やかな雰囲気の館主・二宮謙児さんと活動的な女将・博美さん夫婦が営む小さな宿である。
「特別なことはしていません。お客さんが知りたいと思うことをホームページや動画で伝えただけです」と話すのは謙児さん。
JR湯平駅は無人改札。電車を降りるときは、2両編成の1両目の一番前の扉しか開かない。
口コミサイトで九州1位 世界に通用するおもてなし
「不安の種を取り除くのがおもてなしの基本です」と謙児さんが話すとおり、ホームページを早い段階で4カ国語対応にし、旅館までのアクセス方法、浴衣の着方などを動画にしてYouTubeにアップした。
これまで迎えたお客さんの国籍は40カ国以上。現在、約8割が外国からの宿泊客だ。そのおもてなしの極意をまとめた謙児さんの著書『山奥の小さな旅館が連日外国人客で満室になる理由』(あさ出版)は2017年に出版され、翌2018年には韓国の出版社からも刊行された。
「著書には、妻がやっていることを書いただけ。私はスポークスマン」と謙児さんが言うと、「彼のやわらかさに助けられています。私はアイデアは出せるけれど、説明は苦手。その点、彼は話をまとめるのがうまい。苦手なことを補い合って、成り立っているんでしょうね」と博美さんが謙児さんを立てる。尊重し合える夫婦の関係性が、宿経営にもよい影響をおよぼしている。
お客が途絶えた時に出会った 不思議な巡り合わせ
2020年4月、新型コロナウイルス感染症対策による休業初日。何もすることがないので、夫婦二人で菊畑公園の天望台まで散歩に出かけた時に、頂上近くの雑木林の中に弘法大師の石像を発見した。
「石像の背中を見た瞬間、鳥肌が立ちましたね。放っておくわけにはいかんですよ」と、そのときの様子を博美さんは興奮気味に語る。
調べてみると、昭和3年(1928)に秋吉シズさんという女性が奉納した石像だった。
「推測なのですが、今と同じようなチフスなどの伝染病で人がいっぱい死んだときに、鎮魂の思いをこめて作ったのではないかと思うんです」と謙児さんも続ける。
「こんなときに見つけたのも何かの縁だ」と感じて、木を切り、ぼうぼうに生えた雑草を刈り取り、斜面に丸太を組んで6段の木の階段を作った。普段は庭いじりなどの仕事をしたこともない謙児さんだが、YouTubeを見てDIYに挑戦した。
2カ月間毎日通い続けて、シャクナゲや菊、マリーゴールド、アジサイなどの花を植え、整備した。花はシカに食べられてしまったので、今年は網を張って、花を植えようと思っている。
休業期間中には足もとにある“宝物”にも気づいた。大女将が50年間大事に作ってきた「田楽みそ」をECサイトで販売し、「越境クラウドファンディング」に挑戦。11カ国128名のサポーターの応援を得て、2023年4月にはパウチ型の「ブラック田楽みそ」の製造も始めた。
コロナ禍ではお客さんが来なくてつらい日々を過ごしましたが、いったん立ち止まってよかった。そう思えるようになったのも、弘法大師さまのおかげです」と博美さん。
当たり前は当たり前じゃなく あるものにフォーカスする
昭和45年(1970)創業、5室の民宿からのスタートである。「10歳から奉公に出て、おしんのような苦労をした祖母が『旅館業をやりたい』と、母と一緒に始めました」と博美さん。謙児さんは元金融マン。義父が体調を崩したのを機に2013年、52歳で宿を継いだ。
大分県信用組合で働く会社員時代から、ボンネットバスを走らせたり、石畳の温泉街を自転車で駆け下りる「ツール・ド・湯平」のイベントを仕かけたりする、まちづくりのキーマンだった。
「ここは何もないけれど、車の通りが少ない坂道がある」。ないものを探すのではなく、もともとあるものに目を向ける発想で、現在は菊の花を植えて菊畑公園を復活させようと小さな努力を続けている。
女将の父親は“湯平の玉三郎”と呼ばれ、石畳の坂道でのそうめん流しイベントを発案するなどしていたから、2代にわたり湯平温泉の活気を支えてきたといえよう。
湯平温泉は寅さんの映画シリーズ第30作『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』(昭和57年12月公開)のロケ地になった場所。館内には全50話のポスターも飾られている。
今や当たり前ではなくなった、昭和の温かみや日本らしさ、土地にあるものこそが財産と気づいたコロナ禍。みんなが笑い合えるやさしい宿づくりを目指している。
旅館 山城屋の詳細
取材・文・撮影=野添ちかこ
『旅の手帖』2023年6月号より