“どんづまり駅”をめぐる2泊3日の旅のルートはこちら!
【1日目】
東京駅→東海道本線・横須賀線→久里浜駅…東京湾フェリー…浜金谷駅→内房線・久留里線→上総亀山駅…高速バス…外房線・東金線・総武本線→銚子駅(泊)
【2日目】
銚子駅→成田線・鹿島線→鹿島神宮駅…鹿島臨海鉄道…水戸駅→水郡線→常陸大宮駅…路線バス乗り継ぎ…烏山駅→烏山線・東北本線→宇都宮駅(泊)
【3日目】
宇都宮駅→東北本線・両毛線・信越本線→横川駅→信越本線・吾妻線→大前駅→吾妻線・上越線・高崎線→東京駅
※1日目を金曜に設定したルートです。
※青字は青春18きっぷを使用しない区間(別途料金区間)です。
※時刻は『JR時刻表』2025年7月号掲載の内容です。時刻は毎月変更するので、その月のものを確認してください。
※バスやフェリーの運行(航)日は各社ホームページなどを確認してください。
【1日目】久里浜駅&上総亀山駅 神奈川県から千葉県へ横断
[1駅目]終わるのか、続くのか「久里浜駅」
横須賀線は大船と久里浜を結ぶ路線だが、東海道本線を経由して総武快速線と直通運転している。東京都心を「久里浜行き」の長い15両編成が駆け抜けている姿も見ることができるので、主要路線のイメージが強い。
しかし、終点の久里浜駅に近づくと、徐々にローカル感が高まっていく。逗子駅から乗った久里浜行きは短い4両編成。短いトンネルをいくつも抜けて走るうち、終点の久里浜駅に着いた。
ここがこの旅で最初の“どんづまり”。しかし、ホームの先端まできてみると、あれ? 終点のはずが、線路が先に続いている。
これは線路の先を追うしかない、と駅を出た。
久里浜駅の目の前には京浜急行の線路があり、頻繁に列車が往来する。それに対して横須賀線の久里浜駅は、少し寂しげな印象。京急久里浜駅前の商店街を歩いていると、ちょっと普通とは違う道から来てしまったような感覚になった。
横須賀線の線路が続くほうへ足を進めると、大きな踏切に行き当たる。踏切から眺めると、住宅街の中の小さな隙間を縫うように線路が続いていて、周りには草が繁茂。その先に小さく車止めが見えた。
これが真の“どんづまり”に違いない。住宅地を歩いてさらに線路を追うと、遮断機をもたない小さな踏切に行きついた。
踏切のところで、ちょうど線路は終わっていた。草に覆われた車止め。ツタが絡まる‘‘もじゃ架線柱’’。雰囲気は抜群。
「これ、横須賀線なの?」
通りかかった子どもが母親に尋ねている。たしかに15両編成で東京都心を快走する姿とはかけ離れた、鄙びた印象の“どんづまり”だ。
この線路、実は車両の入替用のもの。久里浜駅に着いた車両が、違う線路に入るため、いったんこの線路まで走ってから折り返すのだ。
終着駅であるにもかかわらず、駅で線路が途切れず、その先に少しだけ線路を伸ばす。終わるのか、続くのか。久里浜駅の“どんづまり”方には、はっきりしない印象を受けた。
[2駅目]私はここまでよ、運命を知る「上総亀山駅」
フェリーで千葉県に移り、木更津から久留里線に乗車。しばらくは平野の中を走っていくが、久留里駅を越えると車窓が一変。一気に山間に入り、小櫃(おびつ)川がくねくねと線路の左右を行ったり来たり。そんな車窓が終着駅に向けての期待を高めてゆく。
久留里線の終着・上総(かずさ)亀山駅は昭和11年(1936)開業。当初は、国鉄木原線(現・いすみ鉄道)と結ばれ、房総半島を横断する予定だった。つまり、上総亀山は終着駅ではなくなるはずだったのだ。しかし夢は叶わず、開業からいままでずっと久留里線の終着駅の役目を果たしている。
そして2024年、久留里線の久留里~上総亀山間は鉄道からバスなどを中心とした新たな交通体系に移行する方針が発表された。上総亀山駅はその先に線路を伸ばすことがないまま、近い将来にその役目を終えようとしているのである。
そんな上総亀山駅に降り立つ。ホームの先に少しだけ線路が続き、すぐ先に車止めが見えた。これぞ終着駅、といった佇まい。ホームの端で途切れず、少しだけ続いている線路は余韻を残すよう。かといって、ここから先に進みたいという野望は感じない“どんづまり”方だ。
この先に線路が伸びる夢はあったけれど、それが叶わないことはもうわかっていて、駅は自分が終着駅であることを受け入れているように思えた。
駅前にある地元の酒屋さん『亀田屋』は大正時代の開業。駅の開業当時から現在まで、店は駅の盛衰を見守り続けてきた。
「鉄道が特別好きなわけではないけど、小さい頃から毎日見ているから愛着はある」と語るのは、5代目店主の亀田正さん。店内には久留里線の写真も飾られている。
かつては木更津でイベントがあるときなど、周辺の人たちはみな列車に乗って出かけたという。
現在も付き合いで飲みに行くときは電車に乗るという亀田さん。近くには亀山湖があり、のどかな風景が広がる地域の魅力をたくさん語ってくれた。
「若いときは物足りなかったけれど、いまはのどかでいいね」
そんな亀田さんの言葉に、自分が終着駅であることを受け入れているという上総亀山駅のイメージが重なった。
亀田屋
☎0439-39-2013
10:00~17:00、毎月1・19日休(臨時休あり)
千葉県君津市藤林86-6
JR久留里線上総亀山駅下車すぐ
【2日目】常陸太田駅&烏山駅 いざ、北関東へ
[3駅目]いさぎよい線路の終わり方「常陸(ひたち)太田駅」
銚子駅に泊まった翌朝、鹿島臨海鉄道などを乗り継いで水戸駅から水郡線へ。向かうはこのたび3駅目の“どんづまり”常陸太田駅。途中の上菅谷(かみすがや)駅で列車を乗り換え、ほどなくして終点に到着した。
常陸太田駅のどんづまりは、少しも線路を伸ばさず、ホームの端でスパッと途切れている。最初からここを目指してきました! といわんばかりのいさぎよい終わり方、結構好きだ。
歴史的にも常陸太田から先に線路を伸ばす計画はなかったようで、開通当初から線路はこの地を目指していたのだ。
駅前は自動車の往来が激しく、鉄道はちょっと脇に追いやられている印象。歩いている人も少なく、鉄道でやってきて駅前に降り立つと、一抹の寂しさを感じてしまう。
少し坂を上って「鯨ヶ丘」と呼ばれる商店街に足を運ぶ。古い趣のある建物を使った、多くの店舗が現役で営業している。味わいのある店の佇まいと、長くこの町で生活をしてきた商いの息づかいがとても印象的なのだった。
糀(こうじ)や味噌を販売する『喜久屋』に入って、鯨ヶ丘商店会の会長も務める店主の渡辺彰さんに話を聞いた。
鯨ヶ丘の一帯は、古くから常陸太田の商業の中心としてにぎわってきた。しかし平成の始め頃、商店会からロードサイドのショッピングセンターなどに店を移す人が多くなり、商店会を出る者と残る者に分かれたという。残る者で、商店会をどうしていくか。
そこで、渡辺さんの主導で、人と人がつながることができる、コミュニティを重視した町づくりを進めたのだそうだ。商店街の味わい深い雰囲気は、長きにわたって地域と歩んできた店主たちの努力の賜物だったのだ。
そんな温かな商店会を歩いたあとは、常陸太田駅に降り立ったときの寂しさはすっかり忘れてしまっていた。
町があって、人がいる。鉄道がこの地を目指した理由がわかったような気がする。
喜久屋
☎0294-72-0569
9:00~18:00、木休(不定休あり)
茨城県常陸太田市東一町2283
JR水郡線常陸太田駅から徒歩15分
[4駅目]生まれ変わってあり続ける「烏山(からすやま)駅」
常陸太田駅から上菅谷駅・常陸大宮駅を経由して、バスを乗り継ぎ、烏山の町にやってきた。
駅に向かう前に『山あげ会館』に立ち寄って、地域の文化について学ぶ。ここでは、烏山の伝統行事「山あげ祭」で実際に使われる大屋台の展示のほか、ミニチュアや映像で祭りの様子を伝えている。
山あげ祭は町内にある八雲神社の例大祭。その余興として、移動式の舞台を町なかに設置して歌舞伎が演じられるが、その背景として、烏山名産の和紙を貼り重ねて山水を書いた「はりか山」を人力であげることから、「山あげ」と呼ばれているのだ。
山あげ会館
☎0287-84-1977
9:00~16:00、火(祝の場合は翌日)休
栃木県那須烏山市金井2-5-26
JR烏山線烏山駅から徒歩5分
また烏山は近年、スポーツバイクブランド「メグロ」の聖地として人気が高い。かつてメグロの工場が那須烏山にあったことに由来するものだ。行政が絡んでファンミーティングが開催されるなど、注目を集めている。
『山あげ会館』の中にもメグロの展示室が作られ、バイクが飾られていた。
さて『山あげ会館』から歩いて、“どんづまり”の烏山駅にやってきた。駅舎はモダンな雰囲気で、鮮やかなグリーンに縁どられた、傾斜する大きな屋根が印象的。2014年に建て替えたものだそうだ。
ホームに立つと、列車に電気を供給する「架線」が、線路のほんの一部分にだけ架かっている。
これは、烏山線で2014年から運行している「ACCUM(アキュム)」と呼ばれる蓄電池車が、駅に停まっている間に“充電”するための設備だ。宇都宮に向かう列車にはたくさんの高校生の姿。モダンな駅舎と新しい設備のある烏山駅は、変化をいとわず、新しいものを受け入れていくことで、地域の足として存続している姿に見える。
【3日目】横川駅&大前駅 群馬県の2駅をめぐる
[5駅目]人生2度目の終着駅「横川駅」
最終日の3日目は宇都宮から東北本線・両毛線で高崎に向かい、群馬県にある終着駅2駅をめぐる。
雨降りしきる高崎駅から乗り込んだのは、信越本線の横川行き。途中、北高崎駅・群馬八幡駅間に開業予定の「豊岡だるま駅」の予定地を車窓から眺めるなどして、30分ほど乗ると、間もなく終点の横川と放送が流れた。
列車に乗って“どんづまり”を訪ねるときは、車両の1番前に立って、終着駅に入っていく様子を眺めるのが楽しい。
見えてきた横川駅には、雲が立ち込めている……と思いきや、近づいてみると、それは雲ではなくSLの煙だった。信越本線では、土・日曜を中心に観光列車としてSLを走らせているのだ(2025年8月現在、SLの運行は休止中)。偶然の出会いにちょっと気分があがる。
横川駅の“どんづまり”は、ホームの先端でブツッと切れている。切れている、というよりは「塞(ふさ)がれている」といった方が正確かもしれない。
横川駅の歴史をひもとくと、明治18年(1885)に信越本線の終着駅として開業(当時、横川~軽井沢間には碓井馬車鉄道が運行)。その後、明治21年(1888)に信越本線の横川~軽井沢間が開業し、横川駅は途中駅となった。
横川~軽井沢間は「碓氷(うすい)峠」を越えることで知られ、この峠の入口にあたる横川駅では機関車の連結作業が行われた。停車時間が長かったため、その時間を利用して乗客が購入したのが有名な「峠の釜めし」だ。
横川駅で釜めしを買って峠越えをした、そんな思い出をもつ人も少なくないだろう。しかし、長野新幹線(現・北陸新幹線)の開業により、1997年に信越本線の横川~軽井沢間は廃止。横川駅は再び終着駅となり、現在に至る。
碓氷峠を越える区間は「アプト式」と呼ばれる方法が採用され、通常の線路のほかに歯車状の「ラックレール」を設置。このレールと機関車に付けられた歯車を嚙み合わせることで、急勾配を安全に走行していた。
現在の横川駅構内には、この「ラックレール」が展示されている。また、峠の釜めしを販売する「おぎのや」が現在も駅構内にあるほか、駅の近くにはかつて活躍した車両を多く保存する『碓井鉄道文化むら』もある。
終着駅として生を受け、途中駅としてにぎわい、そして再び終着駅となったいま、横川駅は鉄道や流通の歴史を伝える役目も担っているように見えた。
その先の夢を諦めきれない「大前駅」
“どんづまり”はその先に線路が続いていないのだから、行ったら帰るしかない。しかし、この旅では行程上、フェリーやバスを使うなどして、“どんづまり”から戻らずに、その先に向かってしまうことが多かった。
けれども、とことん“どんづまり”を味わうのなら、行き止まって、そのまま折り返すのがまっとうな“どんづまり”のめぐり方だろう。そう思って、この旅最後の“どんづまり”となる大前駅へは、吾妻(あがつま)線で行き、吾妻線で帰る。真正面からどんづまりに行くことにした。
横川駅をあとにして一度高崎駅に戻り、新前橋駅で乗り換えて吾妻線に入る。吾妻線は、今回の旅で乗ったなかでも群を抜いた山岳路線だ。途中、八ッ場(やんば)ダム建設で線路が付け替えられた区間を走り、草津温泉の入口である長野原草津口駅へ。ここを過ぎると他の乗客はいなくなり、車内に一人ぼっちになった。
列車は急峻な地形の間を縫うように走る。もうそろそろ終点なのではないか、と何度も思ったが「まだ行ける、まだ行ける」といった具合に、電車はゆっくり走り続ける。しばらくして、終点となる大前駅に静かに到着した。
線路はホームの端からしばらく伸びて、その先で行き止まっている。その様子には「まだ先に進みたかった……」という、諦めきれていない不完全燃焼の念さえ感じた。
駅のそばには吾妻川が流れている。「秘境」というにはやや開けているが、人の姿はない。
トンネル状の階段があり国道まで続いていた。川沿いを歩き、人がいた!と思ったら、漁協が設置した監視用の人形だった。
帰りの吾妻線の車内では、ちょっと放心状態で車窓を眺めていた。
何をするでもなく、終着駅に行って、帰っている。大前駅では人と話すこともなかった。ふとわれに返ると、何をしに来たのだろう?と考えてしまいそうになる。
しかし、旅を終えた満足感が心地よくもあった。思い返すと、“どんづまり”になった駅の事情はそれぞれで、駅や町には“どんづまり”だったからこその個性的なストーリーがある。
今度の旅先でも、近くに終着駅があったら、気になってしまいそうだ。吾妻線は終点の新前橋に着き、都心に向かう列車に乗り換えた頃には、あたりは暗くなっていた。
取材・文・撮影=『旅の手帖』編集部





