紀伊半島東側を歩き、よみがえりの聖地を目指す
熊野は古来、聖域として人々のあつい信仰に支えられてきた。京都・奈良の都から南の山々は熊野三千六百峰といわれ、遥かに連なる様は、永遠の浄土を思わせた。そして山々のさらに向こうで広がる海原は、黒潮が流れる太平洋。そこもまた死者の魂が帰っていく場所とされた。
熊野古道は、この熊野と高野山、伊勢、吉野大峯といった異なる宗教の聖地を結ぶ巡礼の道のこと。東海道や中山道といった一本の道を指すものではなく、京都・大阪から紀伊半島の西側を行く道や、奈良県の吉野からダイレクトに南下していくつも山を越えて熊野を目指す道などがある。いわば、聖地を結ぶネットワークのような道だ。
このうち、伊勢神宮と熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を結ぶ、紀伊半島の東側を行く道を伊勢路という。
古からの巡礼者の石畳「馬越峠」
弾痕があるお地蔵様がお出迎え「松本峠」
かつては、伊勢と熊野を表裏一体とする信仰があった。伊勢は表の顕国(うつしくに)。当時の都から真東の日の昇る地で、太陽の神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る神宮がある。熊野は裏の幽国(かくれくに)。熊野にある日本最古の神社といわれる花の窟(いわや)神社は、天照大御神の母・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が葬られた地とされる。
黄泉(よみ)につながるという熊野は、平安時代に仏教の浄土思想と結びつく。熊野に行って戻ってくるということは、生まれ変わること。そう信じられるようになり、よみがえりの聖地として崇められてきた。
黄泉につながるという熊野を象徴する巨岩「花の窟神社」
熊野に至る道は平坦ではない。例えば紀勢本線も全線が開通したのは昭和34年(1959)。紀伊半島をぐるりと鉄道が結ぶまで、紀勢本線の最初の区間が開通してから70年近い年月が必要だった。
熊野詣(もうで)では、険しい峠を越えて道を行く、その行為自体が修行であり祈りであり、今後の自分の人生と来世への功徳に通じるといわれている。
ダイナミックな奇勝「鬼ヶ城」
「浜街道」と呼ばれる渚の古道「七里御浜」
海、山、崖……信仰の道に待ち受けるめくるめく奇勝の展開
伊勢から熊野に至る約170㎞の伊勢路も、やはり困難な道のり。だが海際ぎりぎりまで山や崖が迫る地では、それだけに風景のめくるめく展開が待っている。
古(いにしえ)の人々が整えた石畳が敷かれた山深い道を過ぎ、見晴らしが開けた峠から見下ろす海辺の眺めや、頑張った自分を癒やしてくれる温泉、行く先々の地域の人との出会い──。そうした体験は、たとえたった一日の一部の古道歩きだったとしても、きっと自分の心身に何かをもたらしてくれるはずだ。
熊野古道伊勢路へ行くには?
三重県の南部地域は冬でもめったに雪が積もることがなく、秋の紅葉シーズンはもちろんのこと、空気の澄んだ冬の古道歩きもおすすめ。
各旅行会社では熊野古道20周年を記念したツアーを順次発売中! 記念すべき今年こそ、熊野古道伊勢路に出かけてみよう。
協力=三重県 写真=東紀州地域振興公社、三重県観光連盟、PIXTA
『旅の手帖』2024年11月号より