観光客でごった返す鎌倉駅。
改札口の上に存在感のある大きな注連縄が目に入ると、鎌倉が鶴岡八幡宮を中心に出来た街であることをあらためて実感する。ここからが既に聖域なのだ。

駅から歩いてわずか3分。「若宮大路」と呼ばれる、源頼朝公が作らせた鶴岡八幡宮の参道にたどり着く。鶴岡八幡宮には鳥居が3つあり、狛犬さんがおられるのが二の鳥居である。
快晴のこの日、阿形の狛犬さんがいつにも増して笑っておられるように見えたのは気のせいか。

若宮大路の真ん中には、盛り土で1段高くなっている「段葛」が八幡宮まで伸びている。
1昨年の大河ドラマの影響でよく知られるようになったのが、段葛に隠されたある仕掛けだ。
それは、八幡宮に近くなればなるほど道幅が狭くなるというもの。

二の鳥居付近では4.5mもある道幅が、本殿に近い三の鳥居付近では2.7mと狭くなっている。
この遠近法は、通る者に距離を長く感じさせる効果があるという。

元々は頼朝公が妻・政子の安産祈願のために作らせたものだが、そこは武士の都、当時は段葛の両脇には堀が作られ、敵を返り討ちにしやすい設計にもなっていた。
安産と返り討ち。まるで違う意味を持つこの参道は、鎌倉を象徴するプロムナードなのだ。

かつて「段葛」は高貴な者しか通ることが出来なかったというから、時代の波に頼朝公もさぞ驚かれているに違いない。

段葛を横切り、路地に入るとそこは喧騒とかけ離れた世界。
鎌倉には、音を吸い込むような路地が多い。

街中のお寺、といえばこちらの「本覚寺」。
通り道にもなっており、小走りしながら手を合わせる地元民の姿もよく見かける。

本覚寺は、日蓮聖人の遺骨が身延山から分骨された由縁で、別名「東身延」と呼ばれ親しまれている名刹だ。中でも古い歴史を持つ「夷堂」は、頼朝公が鎌倉幕府御所の鬼門を守るために建立し、後に本覚寺の境内に移された。この夷堂を起点に、日蓮聖人は布教活動を行ったという。

本覚寺と目と鼻の先にあるのが「日蓮聖人辻説法跡」だ。
車がすれ違うには少し難のあるこの通りを「小町大路」といい、鎌倉時代は民衆が行き交うメインストリートであった。今の小町通りのようなものであっただろう。

日蓮聖人が説法を行った時代は、大地震、疫病、飢饉、幕府の内乱が相次ぎ「末法の世」であったという。(末法…仏教が衰え、悟る者がいない世の中)
時を同じくして、日蓮宗を含む6つの宗派が興ったのも、「末法の世」で救いを求める人々が溢れていたからだ。

実は日蓮聖人ほど、命を狙われ続けた僧はいない。

「日蓮4大法難」といわれる暗殺の危機が、60年の人生の中で起こっている。
日蓮聖人は他宗派を批判していたため敵が多く、臨済宗と深い結び付きがあった鎌倉幕府も例外ではなかった。

幕府のお膝元・鎌倉で布教活動をすることは、まさに命がけであったのだ。
処刑されそうになったり、流罪になっても、日蓮聖人はまた命からがら鎌倉へやって来て説法を続けた。まさに不屈の人、である。

来世ではなく、今の世の中を生きる大切さを説いた日蓮聖人。
限りある人生を、生と死のはざまで精一杯生き抜いたその姿に、多くの人々が心を打たれ、深い敬意を抱いた。

鎌倉での命がけの布教活動の成果は、小町大路周辺に日蓮宗寺院が多く残る光景へと繋がっている。
ちょうどサルスベリが見頃の「妙隆寺」もそのひとつだ。

鎌倉幕府滅亡後の室町時代に建立された妙隆寺。
日蓮聖人の教えを受け継いだ2世の「日親上人」には、壮絶な2つのエピソードが残っている。

1つ目。100日間、氷が張る池の水に浸かりお題目を唱え、生爪を剥がした血の水で墨をすり曼荼羅を描いた。

2つ目。室町幕府将軍・足利義教を改宗させようとしたところ、舌先を切り取られ、熱した鉄鍋を頭に被せられたので、「鍋かむり日親」と呼ばれるようになった。

どちらも、思わず「痛っ」とつぶやいてしまうエピソードである。
そんな痛い思いをしながらも、日親上人は82歳の長寿でこの世を去っている。

境内には日親上人の像や墓所、さらには水行をおこなった池も残っているので、まざまざとエピソードが思い出されよう。

駅へ戻る途中、小町通りの路地へ入ってみると、「発掘調査中」の看板に出くわした。
鎌倉では、埋蔵文化財があると予想される地域で土木工事を行う場合は、試し掘りをして文化財があるかどうかの調査が行われる。
賑やかな通りの一角に、御家人の屋敷があったのかもしれないと思うと何だかワクワクする。

向かいにある定食屋の女将さんが呼び込みをしていたので、「ここ、何がありましたっけ?」と聞いてみる。すると「魚屋!」との明朗な答え。「あ〜!魚屋、ありましたね!」とかつてあった白地の看板を思い出し、妙にスッキリ。

日蓮聖人の生きた時代から大きく様変わりした鎌倉。
けれど、世の中には相変わらず地震、疫病、災害が絶えない。

それでも、「今を生きる」。
懸命に生きることの積み重ねが、きっと明るい未来を作るのだ。
1時間ばかり日蓮聖人の足跡を辿った私は、悟ったような顔で帰途についた。