今のようなカレー激戦区になるもっと前から、下北沢には人々に愛される名店があった。1990年創業の欧風カレー『茄子おやじ』に「通い始めてもう20年以上になります」とは、下北沢を拠点に活動するミュージシャンで、2020年4月に『カレーの店・八月』もオープンした曽我部恵一さん。また、2003年に札幌からスープカレーの『マジックスパイス』が出店すると、続いて専門店が複数進出し、“リトル札幌”状態に。そう、店の数は今ほど多くなかった当時から「せっかく下北沢に来たのだからカレーを食べよう」という流れは確かにあった。
下北沢が「カレーの街」として広く知られるようになったのは、ここ10年ほど。きっかけは、2011年11月3日に開かれた「下北沢カレー王座決定戦」だろう。それが前身となり、翌年から「下北沢カレーフェスティバル」がスタート。毎年10月のイベント時には、カフェや居酒屋などでもフェス限定カレーを出すなど、ずいぶん盛況だ。
徒歩圏内に独自路線の多様なカレーが混在
カレーの街・下北沢としての特長は、さまざまなジャンルを食べられること。前述のスープカレーや、また『Anjali Curry Spice Foods』のようにインドをベースにしながら完コピはせず、独自路線を確立した店が点在。さらに17年には、大阪が本店の『旧ヤム邸 シモキタ荘』がスパイスカレーブームを持ち込んだ。カレーが人気メニューになったカフェも増え、専門店以外で好みの味が見つかることも多い。
一方で、今年オープンした新顔が話題。『Curry Spice Gelateria KALPASI』は、カレーはもちろん、スパイスを駆使したジェラートを目当てに訪れる人も多い。『カレーの店・八月』は、派手さはないが食べると納得。「音楽と一緒で、作る人によってまったく違う。そういうところも含めてカレーの魅力」と曽我部さんが語る通り、カレーは本当に懐が広い。それを実感できる街が下北沢なのだ。
カレーの店・八月
穏やかな味わいが、心までも満たす
おうちカレーにも似た印象に、ホッ。ひと口目で親近感を覚えつつ、なじみのある味の向こう側に、職人による丁寧な手仕事が見え、ハマる。豚骨や鶏ガラ、果物、香味野菜で仕込んだスープは口の中で深い層を成し、じわっと胃袋にも浸透。後から効いてくるジンジャー、ブラックペッパーなどのスパイスが全体をしっかりまとめ上げる。定期的に食べたくなるのはおふくろの味との共通点。
Anjali Curry Spice Foods
和食出身の店主の我流の真骨頂
かつてインドやスリランカを旅して回った店主の市原健一さん。現地で食べた味を手がかりに、また和食畑で培った自分の経験を信じ、オリジナルのレシピを考案する。出汁や食材の旨味を活かしたうえで「個人的には甘酸っぱいのも好き」。チキンにはスパイスのタマリンドを使い、辛味、旨味の間にほのかな酸味を忍ばせる。サンバルはしっかり凝縮させ、シャバシャバさせないのがAnjali流。
マジックスパイス 東京下北沢店
目が眩(くら)む辛さで旨味の境地へ飛ぶ
本店はスープカレーの発祥地・札幌にあり、かつ元祖の一つ。通称「マジスパ」の味はインドネシアのソトアヤムにヒントを得て、チキンスープをベースにする。醍醐味は舌がヒリヒリするほどの辛さで、独自ブレンドのスパイスは、7段階ある辛さレベルを上げるほど旨味も上がるという不思議。汗は止まらないが、対比効果で具材の旨味がぐんと強まり、スプーンを運ぶ手も止まらない。
Curry Spice Gelateria KALPASI
混ぜると味が変わる、スパイスの魔法
本日のカレー3種と手の込んだ付け合わせ野菜を美しく盛り合わせた一皿。それを崩すのはちょっともったいないが、怯(ひる)まず混ぜながらどうぞ。おもしろいことに味がくるくる変化し、自分なりの混ぜ具合など探究心が目覚める。例えばマトンキーマならカルパシ、カルダモンで爽やかさをプラスし、パッと華やかに演出。食べ進めるごとにスパイスに刺激され、味覚がどんどん研ぎ澄まされていく。
旧ヤム邸 シモキタ荘
大阪生まれのニューウェイブ

2017年、大阪スパイスカレー界の雄が東京へ。約30種のスパイスをメニューによって使い分け、ハーブや茶葉を取り入れることも。ランチのカレーは月替りで、それぞれ辛味、酸味、甘みなど強調する部分を変え、個性を分けた3種類。干しエビのコクにモズクの酸味でさっぱり感を加えていたり、関西人の遊び心に驚かされる。3種類かけて、少しずつ混ぜながら食べると、味変も楽しめるぞ。
取材・文=信藤舞子 撮影=本野克佳
『散歩の達人』2020年9月号より