ワンダーウォール 劇場版

京都の片隅にある、京宮大学「近衛寮」。100年以上の歴史を持つこの学生寮には、一見無秩序のようでいて、“変人たち”による“変人たち”のための磨き抜かれた秩序が存在する。そんな寮に、老朽化による建て替えの議論が巻き起こる。新しい高層建築への建て替えを主張する大学側と、補修しながら現在の木造建築のまま存続させたい寮側。双方の意見が平行線をたどるなか、ある日、両者の間に壁が立った――。

脚本は、長期間の取材にもとづき渡辺あやが書き下ろしたオリジナルストーリー。音楽は『全裸監督』『モテキ』など数々の映画・ドラマなどを手がける岩崎太整による。須藤蓮(キューピー役)、岡山天音(志村役)、三村和敬(マサラ役)、中崎敏(三船役)、若葉竜也(ドレッド役)、成海璃子(香役)ら主要キャストは約1500人のオーディションにより選ばれた。劇場版はウイルス禍により今春からの上映が延期となり、「STAY HOME MINI-THEATER」での配信などを経て6月19日から全国で拡大公開される。

監督 前田悠希 

1993年生まれ、愛知県出身。早稲田大学在学時に自主映画を制作。卒業後、NHKに入局。京都放送局に赴任し、ドキュメンタリー番組などを制作。2018年、『京都発地域ドラマ ワンダーウォール』でドラマを初演出し、アメリカ国際フィルム・ビデオ祭でシルバースクリーン賞(エンタテインメント部門ドラマカテゴリー)を受賞。現在は名古屋放送局でドラマ番組の制作に関わる。

脚本 渡辺あや

1970年生まれ、兵庫県出身。映画『ジョゼと虎と魚たち』(2003/犬童一心監督)で脚本家デビュー。主な脚本作品に『火の魚』(09/NHK 広島)、『その街のこども』(10/NHK 大阪)、連続テレビ小説『カーネーション』(11/NHK)、映画『天然コケッコー』(07/山下敦弘監督)、『メゾン・ド・ヒミコ』(05/犬童一心監督)、『合葬』(15/小林達夫監督)など。

大きすぎる問題についての、相談

©2018 NHK
©2018 NHK
──京都の学生寮文化や、現実にある廃寮危機……という特徴的なテーマですが、描かれた“壁”に心当たりがある人は多いのではないかと思います。映画化に至った経緯は?
渡辺

2018年のドラマ放送直後から、映画化したいねとは言っていました。ドラマをやったものの、作品に描いたような問題は今でもずっと続いていて、細く長くでも、また話題になったり、それをきっかけに起きていることを知ってもらったり、仲間や味方を見つけていけたら、という思いがありました。

──作品のテーマは渡辺あやさんからの提案と伺ったのですが、ドラマ作りのスタートはどのようなものだったのでしょうか。
前田

地方局で作るドラマの枠で、京都の学生をテーマにしたドラマを作ることになって。僕とプロデューサーも学生寮というテーマにはたどりついたんですが、僕自身は、最初は寮のカルチャー的なあり方みたいなもののほうに興味があったんです。もう少し青春物語的な感じを想像していたのですが、あやさんに企画を持ちかけたとき、あやさん自身がずっと抱えていた問題意識と、“古い建物がなくなってしまう、そこにある文化もなくなってしまう”ということがリンクしたようで。ドラマはその方向に賭けてみよう、ということになりました。

──監督が興味を持った寮のカルチャーとは?
前田

すごく自由に見えたというか。「自由」という言葉が正しいのかはわからないんですけど、いろいろな不自由はあっても、お互いになるべく個人の自由を侵さず、自由を享受できる状況にしようという、自分たちでつくり上げているその「あり方」がすごく新鮮に映って。そういう感じをドラマにできたらなと考えたのですが、結果的にはそれも描くことができたと思います。

──敬語禁止。トイレはオールジェンダー。全会一致が原則で多数決は取らない。そんなルールに象徴される学生寮の独特の文化がとても印象的でした。もしもそのような環境に自分が身を投じたら……どうですか?
渡辺

たぶん、若い頃だったらすごくああいう場所に住みたかっただろうなって思うんですよね。今は主婦になってしまったので、まず掃除とかが……。一日中、寮を掃除してしまいそうな気がして、私は難しいかなって思うんですけど(笑)。

──「全会一致」というのもすごいですね。
前田

そうですよね。単純に、ここまで意見があることがすごいなと思いました。特に意見がないときって、早く終わってほしいから多数派にいっちゃったりするじゃないですか。でも、それがない。自分がその場にいてそんなに意見を出せるかっていうと、ちょっと心許ないです。

──時間のかかる、非効率と思われるものをよしとしない現代社会で、大変なことだなと。
渡辺

大変でしょうね(笑)。以前書いた朝ドラの『カーネーション』に岸和田の「だんじり」っていう荒々しいお祭りが出てくるんですけど、そこでも全会一致じゃないと物事を進めないと聞いたことがあって。一人でも「わしゃ気に食わない!」みたいなことがあったら、みんなでその人の家に行って説得して、その人が折れるまで物事を進めないと聞いて、すごいなと思いました。やられてるところはやられるんですよね。

──非効率と思われるようなことが守っているものもある、ということでしょうか。
渡辺

だいぶありますよね。むしろ非効率だと切り捨てているもののなかに、本当は切り捨てちゃいけないはずのもの、生きていく上で必要な栄養素みたいなものがたくさん含まれているんだろうなっていう気が、薄々しますよね。

──『ワンダーウォール』で描かれている大きなところでもありますね。
渡辺

合理性で言うと、私たちは「あんなことはやってられない」という考え方になりきっているんだけど、絶対にそれが正しいとも言えない。彼らはたぶんあの寮にいる間に、常識と思われているようなことに対して「では、違うやり方をしたらどうなんだろう?」という実験をしている気がするんですよね。自分の身をもって“そうじゃない社会”を具現化するとしたら、どういうふうになるんだろう? ということをやっている。そのこと自体がまず素晴らしいと思うんですよ。

──前田監督は、ご自身の実体験と比べていかがですか。
前田

もしもああいう学生時代を過ごしていたら、人と触れあうことへの不安感みたいなことがなくなったんじゃないかなと思います。僕は大学生のときは人見知りで、所属していた映画サークルにも微妙に溶け込めない……というような感じがあったんですけど、溶け込んでも溶け込まなくてもいよ、みたいな。その肯定感を感じられていたら、何か自分の殻が破れていたんじゃないかと思いました。

──でも、この作品を観て、自分が思っていた常識とは違う可能性に気づく人もいるのではないかと思います。
前田

そうですね。僕自身もこの作品を通して、自分の生きている現実と社会は決して断絶されていない、地続きなんだなってことも思ったし、もっと個人レベルでは、ちゃんと自分で考えていいと思うものを見極めながら生きていくことの大切さとか、それにアクションすることの大切さをすごく教えてもらったなと。

──そのような学生寮の豊かな文化が描かれているからこそ、三村和敬さん演じるマサラが「そんな理想主義にのぼせあがってるから……」とまくし立てるシーンがつらく、一方で、共感する人も多いだろうと思いました。このセリフは、どのような気持ちで書かれたのでしょうか。
渡辺

たぶん、全部自分の気持ちなんですよね。私はもともと、政治に興味がない、というより難しくてよくわからないと思っていたんですけど、この作品を書く前から、そんな自分でさえ「これは本当にまずいぞ」と思うことがいろいろなところで起こり始めていて、生まれて初めて危機感を懐いたんです。私でさえ気づいているのに、世間の多くの人がまだ気づいていないぞ、というのがさらに怖くて。
廃寮危機は象徴的で、これまで行われていたはずの当局側と学生の話し合いが一方的に打ち切られてしまう。いろいろなことが上から下りてきた結果が、そのことにつながっている。ぼーっとしてるとこういう風につぶされてしまう、失っていくものがあるんだっていう危機感を表現するにはどうしたらいいか、ということから考えていったんです。

──寮生の側だけではなく、大学側のことを考えても複雑な気持ちになります。
渡辺

大学も国からの予算が削られて本当に困窮しているっていう、切羽詰まった事情があるのも事実なんですよね。今後のこの国の課題として、貧しくなっていくことを前提にものを考えないといけないんだとしたら、果たして私たちの幸福をどのように定義するのか? ということを考えなければいけない気がするんです。
これまでは、お金をばんばん稼いでいれば万事OK、という考え方できたけれど、そうなる過程で社会が切り捨ててきたもの、考えないようにしてきたことがある。そこに立ち返って、みんなで考えないといけない時がきていると思うんです。でも、問題が大きすぎて。私一人が結論を出せるようなことでもないので、観てくださっている方への「相談」みたいな感じです。

対話がずっと続いている

──この作品を「相談」と受け取った人はたくさんいたのではないかと、一連の広報活動を見ていると感じられます。Twitter。noteで展開している「近衛寮広報室」。YouTube生配信の「近衛寮放送室」。そして観た人と作り手の方々との文通。その草の根的な活動に、出演者の方々もかなり主体的にかかわっていますね。
渡辺

すごく不思議で、私もこんな例は未だかつて体験したことがないんです。普通はどうやったら具体的に売ることができるかを考えて、派手で、目立って、表層的でも広く知られるようなやり方をとるんですけど、この作品はとにかく自分たちがやりたいことをやるんだっていう機運がチーム内で高まっていて。

──前田監督と役者の方々とゲストの方で、観た人からのお手紙や作品のテーマなどについて議論をする「近衛寮放送室」や、その「文通」はどのように始まったのでしょうか。
前田

「近衛寮放送室」は、いろいろな感想をいただいているのにそれに対してお返事ができていない状況のなかで、双方向的に何かできるようになればいいよね、ということで始まりました。実は、コロナウイルス禍がある種のきっかけではあって。リモートで人と人がつながれる可能性にはじめて多くの人が気づいたというタイミングで、やってみようとなったことなんです。人と人とのコミュニケーションや、どんな人でも受け入れるということは、作品のテーマに通底するものもある。思いの強いお手紙をいただくことも多かったので、それを発信することで、より映画のテーマや世の中のことについて考えてもらえる機会になるのではないかなと。

──リモートを利用して「文通」というのが斬新だなと。
渡辺

往復書簡の企画は、三船役の中崎敏くんが言い出して、それは面白いじゃないか、という感じで始まったんです。YouTubeの『Wonderful World』(https://www.youtube.com/watch?v=4m-yD8xOO_g&t=254s)というインタビュー連載みたいな企画は、キューピー役の須藤蓮くんがやりたいって言い出したものです。若い子たちがやりたいって言い出すのは、すごくいいことだと思って。それがこの作品にとても似合っているし、それをサポートさせてもらうのが大人としてすごく楽しいことなので、実現するためにみんなで知恵を出し合って進めているという感じです。

『Wonderful World』は現在、第3回までアーカイブされている。第1回のゲストは音楽を担当した岩崎太整さん。
『Wonderful World』は現在、第3回までアーカイブされている。第1回のゲストは音楽を担当した岩崎太整さん。
──役者の方々からそういうアイデアが出てくるのが面白いです。
前田

このチームならではなのかもしれないんですが、役職があってないようなものといいますか。僕も名前は監督ですが、実際はみんな監督みたいな感じです。みんなそれぞれの立場から、どうやったらもっと広げられるか? もっと面白くなるか? みたいなことを考えている。それは広報だけじゃなくて、現場のときからそういう感じでした。

──役者のみなさんにとっても「出演作」を超えた何かになっているのではないかと思いました。
渡辺

それらが果たして宣伝として効果があるかどうかっていうと疑わしいんですけど(笑)。でも、手応えがやたらとあって、楽しいんですよね。すごく深い言葉のやりとりができるーな、とか、自分たちが本当に知りたいことを教えてもらっているな、という感じがあるので、みんなが楽しく続けていっている。

──第三者から見ても、そのやり取りから感じることや考えることがいろいろあります。
渡辺

自分たちが届けようと思っているものがどれくらい届いているかって、実はなかなか知る機会がないんです。お手紙が来るたびに、こんなにまっすぐ、深いところまで受け取ってもらえるんだということに私たちもびっくりしていて。あと、ここまでずっと一緒に作品を作ってきたはずのプロデューサーや役者たちの返答を見て、「あ、こういうこと考えてたんだ」と、初めて知ることがけっこうあるんです。送られてくる言葉の誠実さや純粋さに対して、初めてこちら側からも出せる言葉っていうのがあるんだとすごく感じます。面白い体験です。

──普通だったら作り手と観る側にはもっと隔たりがある気がするのですが、その壁を意識的になくす試みなのかなと感じます。
前田

いただいたご感想のなかで、「こういう場所があって、話をしていいんだっていうことに安心しました」というようなことを書いてくださった方がいて、すごくうれしかったんです。誰しも自分の心の中のことを聞いてほしいとか、言葉にしたいっていう気持ちを持っていると思うんですけど、それを日常的に話していい場所って確かにないなと思って。僕自身もたぶんそういう気持ちでやってるし、放送室をやることが精神安定剤みたいになってるっていうのもあるんですよね。

──放送室を観ながら「もっと対話や議論をしてもいいんだよな」ということを考えていました。
渡辺

この前、これから放送室をどう展開していこうかという会議をリモートでやったのですが、そこで「こういうのはファンサービスにもなるし……」みたいな言葉を私が使ったら、それに対して須藤蓮くんに「俺はファンサービスだなんて思ってない、一対一の人間同士のやりとりだと思ってやってる!」と怒られちゃって。本当に、そうじゃないと意味がないというか、ちょっと反省しました、私。

──効果を考えると理想論なのかもしれませんが、あえて理想を目指しているような部分にとても引かれます。
前田

それがまさに、成海璃子さん演じる香のセリフにもありましたが、「経済至上主義」ではない何か、ですよね。そういうものを具現化するかたちでやるっていうのが、ひとつ、僕らの活動の軸かなと思います。

──本当に、作品の世界が拡張しているような印象です。
渡辺

そうですね。私も、ここまで勝手に成長していったり、広がっていったり、たくさん仲間を連れてきたりするわんぱくな子供みたいな作品は初めてで。いったい何がそうさせているのか、こうならない作品との違いって何だろうとすごく考えさせられているんですが……。
いちばん大きな違いは、純粋性みたいなことだという気がするんです。ドラマや映画は、本来は商業性が強く関わってくるものなので、作り手側が作りたいというより、枠を埋めるためとか、会社を動かしていくために作られていくことのほうが多いんですよね。で、そういう作品って命が宿らない感じがするんですよ。自分に言い聞かせるようにして取り組んでいても、やっぱり途中で死んでいってしまう。本当に十年に一度くらいですが、儲けよう、一発当ててやろう、これで有名になってやろうみたいなもの誰も持ち出さない現場がたまーにあって。そうしてできたものは、それ自体がひとつの生き物のように、いろんなところに芽を出すという感じがあります。

6月12日の「近衛寮放送室」より。前田監督、須藤さん、三村さん、中崎さん、ゲストとして渡辺さんが登場。
6月12日の「近衛寮放送室」より。前田監督、須藤さん、三村さん、中崎さん、ゲストとして渡辺さんが登場。

人が、生き物として美しく見える場所

──寮の存続のために、学生たちは長く闘っています。たとえば東京は、風景が変わるスピードが本当に速く、一つ一つに対して声を上げるのも難しい。そんな現実についても考えさせられました。
前田

学生時代に東京にいたときはそうでもなかったんですけど、京都に住んでから東京に行ったとき、「あれ、なんだこれ? 息苦しいな」と感じて、何が原因なんだろうって考えていたんです。京都でいろいろなお話をうかがうなかで面白いなと思ったのが、たとえば家の軒下、軒端とか、それはもともと通行人が雨を避けて通れるように造ったものらしいんですよ。京都は、誰かのためにフリースペース化されている敷地が街全体にある感じなんです。東京は基本的に、ビルを建てるにしても本当にその敷地だけ。空いた土地に垂直に立てていくので、フリースペースのような場所があまりない気がするんです。

──気がつけば何かが壊れた跡にビルが立っている、という状況が東京ではもうずっと続いています。
渡辺

東京は遊ぶところがいっぱいあって、行くたびに遊び回っているのでとても楽しい場所ではあるんですけど(笑)。一つだけよく思うのが、ビルがかっこいいけど、かっこいいビルって人を必ずしも美しくは見せないんだなと。映像作品を作る側の人間だから思うのかもしれないのですが、どんな人も、自然の中に置くと美しいんですよ。かっこいいビルに置くと、なんだろう、この人間の敗北感……と。ちょっとでも年をとっていたりすると、それだけでふさわしくない感じがするんです。

──人間が造ったものなのに、不思議な現象です。
渡辺

人間という存在を祝福するための変化ではないな、という気がしますよね。自然の中だけでなくて、古びたトタン屋根の建物とか、そういうことでもいいと思うんですけど、建物や背景より人がよく見える場所にいることがいいことなんじゃないかなと。古いものを否定するということは、「祝福」とは違うベクトルを持っている。自分に呪いをかけていることですし、別の誰かのことを呪うことにもなるような気もします。
自分が相手からよく見えるというだけでなく、そこにいるみんなが生き物として美しく見えるっていうことによって、自分が受けられる恩恵もとても大きいと思うんです。たとえば『ワンダーウォール』でいうと、現場は非常にピュアなもので、みんなが本当に誠心誠意その作品に向かうということがたまたま実現したのですが、そうするとそこにいる人たちがものすごく輝いて見える。そういう場所がお互いに力を与え合う環境だと思うんですよ。

──そうですね。古くても大事なことがあるということを、もう少しはっきりと声に出して言っていくべきなのかもしれないと思いました。
前田

たとえばあの寮みたいな場所がなくなってしまったら、本当にすごい喪失だと思います。自分が思っている以上に、人間は環境に動かされている。建物自体がひとつの包容力みたいなものを宿してると思うし、それは場所自体に時間をかけて醸成されたものかなって。
『ワンダーウォール』でも描いていたことですが、どこに向けて声を発すればいいのかわからない、というのも確かにそうだなと思います。「近衛寮広報室」も最初はある種のレジスタンス的な、ちょっとファイティングポーズをとっている感じもあったんですけど、ある瞬間にあやさんが、「敵を殴るのではなく味方を増やしたほうがいい」ということをおっしゃって、本当にそうだなと思ったんです。抵抗して声を届けるっていうことも大事ですが、「こういうのっていいよね」ということでつながりを少しでも増やしていくのも、一つの闘い方なんじゃないかと思いました。

「壁」の姿が見えてきた世界

──「壁」というテーマについては、2年前よりも、今のほうがしっくりくる人が多いのではないかと思います。
前田

あやさんとも話していたんですが、2年前はなんとなく感じる違和感を「壁」というもので象徴的に表現しよう、ということだったんですけど、2年経って、分断みたいなもの、壁のようなものがより可視化されてきて、そういうものを肌で感じるようになったなと思います。

──可視化されてきた理由があるとしたら、それは何でしょうか。
前田

溝みたいなものって、埋まるよりは深まっていく方向に流れやすいのかなとは思っていて。SNSとかもそうなんですけど、たとえば「死ね」なんて面と向かって直接は言えないのに、簡単に言えてしまう、そういう言葉の軽さみたいなものとかも含めて、自分と誰かの間に線を簡単に入れることができてしまう。それが個人レベルではなくて国家レベルで動いていたりするので。国家レベルで分断が起きていれば個人もそれに影響されますし、相互関係もある。そういう時代の流れのなかで起きていることかなと感じます。

──SNSは、個人のはずが、あっという間に束になってしまうような溝の大きさを感じるときがありますね。
前田

そうなんですよ。SNSになった時点で個人じゃなくて、見えない誰かみたいになる。それゆえに怖さも増してくるし、受け手側もそれに対して恐怖心や、不気味な感じを受けてより防御しよう、壁をつくろうとする、謎の現象があるなあという感じがしますよね。

──それでも、壁の存在が見えてきたことで違う展開もあるでしょうか。
渡辺

全然違うと思うんですよね。ないことになっていたものに対して、「あるじゃないか!」とお互いに口に出して確認しあう段階にきたんだなって。むしろ前向きなことだなと私は感じています。病気と一緒ですよね。病気じゃないって言い張っているうちは治療も進まないけど、病名をつけられた瞬間に、ちょっとだけど治療がそこからはじまるじゃないですか。そういうことだと思うんです。

──壁はまだ壊れていない、という現実が映画にもありますが、その中での最後の合奏のシーンが印象的です。
前田

僕はあのシーンを、壁がない世界の象徴だととらえて演出をしました。老若男女問わず、楽器が弾ける弾けないすらもはや関係なく、音が出るならいいという条件下で音楽を奏でるっていうことそのものが。それこそベルリンの壁の前でデヴィッド・ボウイが歌ったように、音なら簡単に壁を飛び越えられちゃったりする。そういうものが表現できたなと思います。

──ドラマ版では京都の学生による合奏だったのが、映画版では一般公募で集まった人たちによるセッションでした。
渡辺

簡単にハッピーエンドにはできない物語なので、多幸感のある終わり方、それができるのは音楽だなと考えてドラマ版はあのエンディングにしたんですよね。劇場版は、映画化することの意味を考えたときに、2年という時間の経過や、ドラマを作ったことでどんな風に現実が動いているのかということをくっつけようと。音の聞こえ方の違いや広がりを、あのラストシーンで表現できたらなって思ったんです。すごく楽しかったです。

──すでに京都の『出町座』などでは公開されていますが、これから全国で上映が始まります。
渡辺

一人一人がどう受け止めてくださるか、ということに興味があります。私は、土地によって人が変わるとは本質の部分ではあまり思ってはいなくて。届くべき人のところに届いたらうれしいなと思いますね。

──今後の展開について、期待することがあれば教えてください。
前田

まずは映画を観ていただきたいなと思いますが、映画自体もそうですし、今「放送室」でやっているようなことも、まったく関係ないことでもいいので、それぞれのアクションのプラットホームみたいに使っていただけたらうれしいなと思います。

©2018 NHK
©2018 NHK

出演:須藤蓮 岡山天音 三村和敬 中崎敏 若葉竜也 山村紅葉 二口大学/成海璃子
監督:前田悠希 脚本:渡辺あや 音楽:岩崎太整 制作統括:寺岡 環
撮影:松宮 拓 照明:宮西孝明 録音:中村真吾 衣装:松本和子 ヘアメイク:福岡由美 編集:大庭弘之
サウンドデザイン:畑奈穂子 キャラクターデザイン:澤田石和寛 スチール:澤寛 宣伝美術:trout
劇場版プロデューサー:上野遼平 製作・著作:NHK 企画:2020「ワンダーウォール」上映実行委員会
配給・宣伝:SPOTTED PRODUCTIONS 宣伝協力:MAP 2018/日本/アメリカンビスタ/5.1ch/68min
https://wonderwall-movie.com/

取材・構成=渡邉 恵(編集部)