激動の昭和の時代にあった店に集う名士たち

神保町駅にほど近い、すずらん通り沿いにある『神田 天麩羅 はちまき』。ゴマ油が香る黄金色の江戸前天ぷらが評判の老舗は、昭和6年(1931)に産声を上げた。はじめは神田駅前の神田富山町に店を構えたのだが、東京大空襲によって焼け野原となったため、空襲を免れた神田神保町に移転した。以来、昭和20年(1945)から現在の地で営業を続けている。

外観は洋風、内観は和風の木造一軒家の1階に店舗を構える『神田 天麩羅 はちまき』。
外観は洋風、内観は和風の木造一軒家の1階に店舗を構える『神田 天麩羅 はちまき』。
昭和20年代の店構え。神保町で店を再開した当時の建物は、昭和2年に建てられた近代建築。
昭和20年代の店構え。神保町で店を再開した当時の建物は、昭和2年に建てられた近代建築。

創業者の青木寅吉氏は、明治15年(1885)に創業した神田末広町の割烹「魚安」で腕をふるっていた一流料理人。当時、仕出しへ出かけた際に関東大震災に遭い、九死に一生を得たものの店が倒壊して廃業したため独立した。後に東京大空襲に見舞われるも、神田の闇市に屋台を出して生計を立て直し、間もなく店を再開させた。

はちまき姿の創業者・青木寅吉氏(中央左)、作家・江戸川乱歩氏(中央)、直木賞作家・海音寺潮五郎氏(中央右)、俳優・佐野周二氏(江戸川氏の左)。
はちまき姿の創業者・青木寅吉氏(中央左)、作家・江戸川乱歩氏(中央)、直木賞作家・海音寺潮五郎氏(中央右)、俳優・佐野周二氏(江戸川氏の左)。

寅吉氏は料理人としての腕は元より、すこぶる気風が良かったのだろう。昭和を代表する名士たちを次々と虜にしていった。店の常連の顔ぶれは、日本における本格推理小説の草分けである江戸川乱歩氏、演劇界の大御所と呼ばれる劇作家の北條秀司氏、昭和のスターで二枚目俳優の佐野周二氏など。各界の花形がこの店に集った。

趣のある店内には、常連だった著名人たちの写真やサインが所々に飾られている。
趣のある店内には、常連だった著名人たちの写真やサインが所々に飾られている。
「晝(ひる)は夢 夜ぞ現(うつつ)」(うつし世は夢のごとし、夜こそがまことなりけり)と書かれた江戸川乱歩氏の直筆サイン。
「晝(ひる)は夢 夜ぞ現(うつつ)」(うつし世は夢のごとし、夜こそがまことなりけり)と書かれた江戸川乱歩氏の直筆サイン。
昭和20年に神保町で店を再開する時に、劇作家・北條秀司氏が贈ってくれたもの。
昭和20年に神保町で店を再開する時に、劇作家・北條秀司氏が贈ってくれたもの。

カラッと揚がった軽い衣をまとう絶品天丼

激動の昭和の時代を生き抜いた名店の天ぷら、心していただきたい。今回は品書きの先頭にあった、天丼800円を注文。丼の中央にエビ天が2本、ピーンとまっすぐ背筋を伸ばして立っており、その迫力からも食欲をそそられる。

天丼800円。どのメニューも味噌汁付きで、箸休めの新香は卓上にある黒箱から好きなだけいただける。
天丼800円。どのメニューも味噌汁付きで、箸休めの新香は卓上にある黒箱から好きなだけいただける。

魚介類はエビ、キス、イカが定番。野菜はその日の仕入れや大きさによって種類も数も変わるそうで、今回はレンコン、ピーマン、ナス、カボチャがのっていたので、いろいろ味わえてめちゃくちゃお得だった。このボリュームで800円とは信じがたい。

衣がサクッとしていて、エビはふんわり、キスもふわっふわ、肉厚のイカはやわらかく歯切れがいい。

丼の中央でインパクトを放つエビ。海老天丼1000円にはエビが3本のる。
丼の中央でインパクトを放つエビ。海老天丼1000円にはエビが3本のる。

野菜は薄っすらと衣をまとい、素材のみずみずしさを残しながらもカラッとした揚がり具合で、ほっくり、もっちり、シャキシャキと、種類ごとにさまざまな食感を楽しめる。衣がとっても軽いので、これはいくら食べても全然胃にもたれそうもない。野菜天丼も800円で、だいたい8品の野菜が盛られるようだ。

レンコンは厚切りでもちっとしていてほくほく。どれも野菜そのものの甘みが感じられる。
レンコンは厚切りでもちっとしていてほくほく。どれも野菜そのものの甘みが感じられる。

秘伝のタレはさらっとしていて、すっきりした甘さ。創業以来の継ぎ足しのタレだそうで、この味をかの名士たちも味わったと思うと感慨深いものがある。言わずもがなご飯も絶品なので、天ぷらを平らげたあとは追いダレで白飯を堪能。ああ、最後の一粒まで旨い。

銘柄はコシヒカリ一本。4升炊きの釜を使い、その半分の量で米を炊くと、ふっくらおいしく仕上がるという。
銘柄はコシヒカリ一本。4升炊きの釜を使い、その半分の量で米を炊くと、ふっくらおいしく仕上がるという。

板場に立つのは3代目店主の青木昌宏さん。創業者・青木寅吉氏の孫にあたる。昌宏さんいわく、近頃は学生のお客さんが増えてきたそう。それもそのはず、天丼は800円、お弁当なら600円で、天ぷらはてんこ盛りだしご飯は大盛り無料だし、おなかいっぱい食べられてリーズナブル。

そして何より味がいい。「老舗はハードルが高い」と思っている若者たちの間でも口コミが広がるわけだ。かつて文豪や演劇人に愛された名店にもかかわらず、安くておいしくてだれもが入りやすい雰囲気とあって、庶民の心強い味方だ。

名士にも大衆にも愛されるその理由

3代目の昌宏さんは、すんなりと店を継いだわけではなかった。ある時、2代目の父親に反発して家を飛び出し、家業とは異なる事業を経営していたのだが、父親が病に倒れたため一念発起して跡を継いだ。

神田で生まれ育った3代目店主の青木昌宏さん。神保町の栄枯盛衰の歴史を見てきた1人。
神田で生まれ育った3代目店主の青木昌宏さん。神保町の栄枯盛衰の歴史を見てきた1人。

「父は築地に仕入れに出かけた際に脳梗塞で倒れてしまったのですが、搬送先の病院に家族が駆けつけると、自分が買ったアナゴの心配ばかりしてたんですよ。うまく言葉を発せずにごにょごにょ言ってたんですが、きっと『おれが買ったアナゴを新鮮なうちにさばけ!』って伝えたかったんでしょうね」。

丼からはみ出すほど大きいアナゴの天ぷらは、この店の看板商品。江戸川乱歩がアナゴとエビがのった天丼をよく注文していたそうで、初代・寅吉氏をはじめ、2代目もアナゴに相当な思い入れがあったのだろう。何をおいてもアナゴのことを考えるという父親の姿は、今も昌宏さんの脳裏に焼きついている。

「名店の職人技だとか伝統を受け継ぐ味だとか言われると、なんだかこそばゆいんですよね」と昌宏さん。
「名店の職人技だとか伝統を受け継ぐ味だとか言われると、なんだかこそばゆいんですよね」と昌宏さん。

店を継いでしばらくの間、調理はほぼ職人さん任せだったそうだが、昌宏さんは「一人立つ精神で」と意を決して自ら板場に立つようになり、アナゴもさばけるように日々鍛錬を重ねた。職人気質は親譲りといえよう。

昭和27年に『神田 天麩羅 はちまき』で開催された、東京作家クラブ例会の記念写真が店頭に飾られている。
昭和27年に『神田 天麩羅 はちまき』で開催された、東京作家クラブ例会の記念写真が店頭に飾られている。

代々受け継がれているのは、食材へのこだわりや味だけではない。江戸っ子の人情もまた受け継いだ3代目は、寅吉氏が名士たちに愛されたように、現代の著名人、そして地元民や神保町で働く人たちに親しまれているのだ。昭和の時代から多くの人を魅了してやまない『神田 天麩羅 はちまき』は、令和を生きる若い世代もたちまち虜にしてしまうだろう。

住所:東京都千代田区神田神保町1-19/営業時間:11:00~21:00LO(土・日・祝は11:00~20:00LO)/定休日:不定/アクセス:地下鉄神保町駅から徒歩3分

構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=コバヤシヒロミ