鎌倉・江ノ電・湘南の記事一覧

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目の前に広がるのは鎌倉の海!絶景の『稲村ヶ崎温泉』で、世界でも珍しいモール泉を楽しむ
遠くには江ノ島、天気がいいと富士山。美しい鎌倉の海を眺める露天風呂が評判の天然温泉。泉質は世界でも珍しいモール泉で、褐色がかった黄金色が特徴的だ。木をあしらった内装は重厚感があり、高級旅館のような風情があり落ち着いた雰囲気。朝はさわやかな潮風、きらきらとした海に落ちる夕焼け、海に浮かぶ月と、どんな時間でも素晴らしい風景が待っている。
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心地よい茅ケ崎のカフェ3店。朗らかムードで心の底からリラックスできる店ばかりです!
地名の知名度の高さは抜群。けれど、気負う様子はゼロ。自然体で生きる人が多い茅ケ崎界隈に降り立てば、肩の力がふっと抜けます。そんなおおらかな街には自由で、楽しい時間が味わえる店がたくさん! 今回は心地よさ抜群の3店をご紹介するので、時間を忘れてくつろぎましょう。
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湘南で買う&食べるなら!おすすめしたいグルメ5選。店主の渾身のアイデアが炸裂しています!
湘南といえば海のイメージですが、どっこい、畑も田んぼも、果実実る山もあります。米、野菜、果実など、多岐にわたって生産され、色ツヤ、ハリが抜群。地場野菜の料理、加工品も目白押しです。そんな湘南でおすすめしたいグルメ4選をご紹介します。
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源氏の物語でもっとも悲しい事件。頼朝と義経の兄弟対決を伝える地を巡る
源氏による武家政権誕生の話をする場合、避けて通ることができないのが源頼朝・義経兄弟の確執と、悲劇的な結末であろう。多くの伝説に彩られた義経は、天才的な戦いの才を発揮して平家討伐における最大の功労者となったにもかかわらず、最終的に兄頼朝の怒りを買い、討ち取られてしまう。大河ドラマでも、すでに悲しい最期を迎えてしまった。今回はそんな義経の、鎌倉における足跡を追ってみることにしたい。義経は幼少の頃に鞍馬寺に預けられ、その後は諸国を放浪し、奥州の藤原秀衡の元に身を寄せている。それだけに、鎌倉にはゆかりの地が多いわけではないが、どこも印象的な場所ばかり。ということで、まずは鶴岡八幡宮へ足を運んだ。
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功臣・上総介広常の死。鎌倉に残る足跡は、悲しいほど少ない
鎌倉幕府の黎明期は、陰謀や粛清など、悲劇的な事件が思いのほか多かった。その最初の犠牲者と言えるのが、上総介平広常(かずさのすけ たいらの ひろつね)であろう。房総平氏惣領家の頭首という立場で、その支配地域はほぼ上総一国(房総半島中央部、千葉県)であったと考えられている。広常は、もともと鎌倉を本拠地としていた源義朝の郎党であった。保元の乱では義朝軍に属し、平治の乱では義朝の嫡男である義平に従って奮戦している。言うまでもなく義朝は頼朝の父、義平は兄だ。義朝が平家との戦いに敗れると平家に従うが、頼朝が挙兵した頃は平清盛との間に確執が生じていた。
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頼朝大敗の合戦地・石橋山。頼朝を助けた、いくつもの幸運とは? 奇跡を生んだ現場を訪ねる
治承4年(1180)8月17日、平氏追討の兵を挙げた頼朝は、緒戦で伊豆の目代・山木兼隆と、その後見人であった堤信遠を討ち取った。その勢いをもって鎌倉を目指し、東へと向かった頼朝軍の前に、相模の実力者・大庭景親が立ちはだかる。両軍は相模国の石橋山で激突するが、頼朝軍は奮闘むなしく大敗北を喫してしまう。普通ならば、ここで命を落としたであろう。ところが頼朝は、不思議なことに生き残る。今回は、頼朝が武家政権を確立するための最初の試練、石橋山古戦場とそれに関連する地へ、足を運んでみることにした。
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源氏山はなぜ「源氏」と名付けられたのか?頼朝ゆかりのパワースポットとは?~鎌倉幕府の黎明期が見えてくる!扇ガ谷まるごと散策コース~
治承4年(1180)8月17日、頼朝はまず伊豆で挙兵する。だが8月23日には石橋山での戦いに敗れ安房国に逃走。そこで再起を図り、源氏の嫡流という権威を武器にして多くの東国武士団から支持を獲得する。そして自らの拠点を先祖伝来の地・鎌倉と定め、10月6日には鎌倉入りを果たしたのである。その源氏ゆかりの地一帯が、今の扇ガ谷だ。11月には和田義盛を、御家人の統率と軍事指揮を職務とする侍所別当に任命。さらに八幡宮の東側に位置する大倉の地に、政治の中枢となる御所(政庁)を置いた。こうして内乱中にもかかわらず、頼朝は新たな支配体制の足場を、着実に固めていった。
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源頼朝が鎌倉に作った御所。その大きさはどれくらいだったのか? 大倉幕府跡と若宮大路幕府跡を巡り、鎌倉の歴史に触れる
源頼朝により日本史上初の武家政権が樹立され、鎌倉がその中枢の地として選ばれた。なぜ鎌倉が選ばれたかについては、この散歩シリーズの第1回目で触れているので、ぜひ参照してほしい。現在も鎌倉に足を運べば、過去の歴史を伝える遺構や遺物とともに、人々が暮らしている光景と触れ合える。それだけに、街中のいたる所で当時の姿を思い起こさせてくれるのだ。同じように市中に多くの史跡が点在する京都と比べると、鎌倉は見どころが集約されているのもうれしい。今回は、そんな鎌倉らしいコンパクトな史跡巡りを、堪能してみることにしよう。
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なぜ、頼朝は鎌倉を選んだのか? 源氏ゆかりの小社と、切通しから見えてくるもの
1192年=いいクニ作ろう鎌倉幕府。日本史上初の武家政権である鎌倉幕府の始まりは、このようなめでたい語呂合わせで覚えこまされた。しかし近年、1185年=いいハコ作ろう鎌倉幕府、というように変わっている。というのも幕府の政治体制は、源頼朝が以仁王(もちひとおう)の令旨を受け挙兵した治承4年(1180)から整えられていった、そう見るのが妥当と考えられるようになったからだという。この年には、幕府の主要機関となる侍所(さむらいどころ)が設置された。その初代別当に和田義盛を起用。こうして頼朝を頂点とした「御恩と奉公」という武家政権の形が、少しずつではあるが定まっていき、東国中心だった頼朝の支配体制が、ついに西国にまで及んだのが文治元年(1185)。そのため、この年が鎌倉幕府成立年とされたというわけ。 そんなこむずかしい話はともかく、歴史は時代とともに解釈が変わるもの。それでも、歴史的な事件が起こったとされる“現場”に足を運ぶのは面白い。そこで好調なスタートを切った大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にあやかり、鎌倉幕府の黎明期にまつわる魅力的な現場を、少なくとも13カ所以上は巡ってみましょう!
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神奈川県藤沢市『江の島アイランドスパ』は、目の前に海と富士山!リゾート気分がアガる絶景で天然温泉とスパプールを満喫。
相模湾に浮かぶ富士山を見ながら天然温泉に浸かる……。そんな贅沢ができる『江の島アイランドスパ』。江の島に入ってすぐの立地で、温泉だけでなく、露天プールや評判のトリートメントスパ、絶景を見ながら食事できるレストランが楽しめる。澄んだ海辺の空気を満喫して、朝から一日中ゆったりするもよし。江の島観光の最後、夕焼けの海に感動するもよし。都心から約1時間のリゾートへレッツゴー!
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神奈川県茅ヶ崎市『湘南RESORT SPA 竜泉寺の湯』は、リゾート気分の湯めぐりが楽しめるスーパー銭湯
「スーパー銭湯」と名付けて名古屋で開業した『竜泉寺の湯』が、豊かな自然が残る湘南エリアにもある。『湘南RESORT SPA 竜泉寺の湯』では、高濃度炭酸泉や温泉、岩盤浴など、リゾート気分で楽しむことができる。毎日の慌ただしさを忘れてのんびりと過ごそう。
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観光地・鎌倉美味しい居酒屋おすすめ10店。地元民御用達の名居酒屋は夜になると一変、イイ雰囲気に。
日中に多くの観光客で賑わう街・鎌倉。神社や雑貨店、小町通りでの食べ歩きなど様々な楽しみ方がある観光色の強い街ですが、夜になると雰囲気が一変。落ち着いた雰囲気の街に様変わりするのです。観光地ながら、実は安くておいしい地元に愛されている呑み処が多い鎌倉。とはいえ観光客向けの店も多い観光地では、地元の人でない限りどのお店がそうなのかを見抜くのは難しいものです。そんな人に教えたい、鎌倉の居酒屋をご紹介。
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鎌倉の7つの切通し、鎌倉七口を歩いてみよう。
北鎌倉駅から建長寺方面へ。平日だというのに観光客が多い。横須賀線の踏切を渡るとその先は建長寺。寺に行く手前の路地に入ると、観光客は誰もいなくなった。緩い舗装の坂道を上がっていくと七口の一つ、亀ヶ谷坂切通しに差し掛かる。頼朝の時代、北部から鎌倉に入るルートはここだけだったようだ。切通しの一番高い峠付近は、岩壁が露出している。そこの岩をくりぬいて六地蔵を祀ってあった。住宅地へ下りて、次は化粧坂切通しへと向かう。化粧坂は現地の石柱には 「假粧坂」 と刻まれていた。仮の旧字だが、切通しにはこの旧字が似合うような気がする。滑りやすい岩の坂を上がり切る。左に行けば頼朝像のある源氏山公園、右に行けば銭洗弁天だが、道を横切直進すると、かなり急な下り道。 ここが七曲りといわれる化粧坂の坂だが、あまり歩かれてはいないようだ。坂道を下りると民家の脇に出る。また住宅地の中を歩いて佐助稲荷神社へ。本殿の裏手から急坂を上がると大仏ハイキングコース。アップダウンを繰り返してコース終盤、大仏隧道(ずいどう)へ下りる手前から大仏切通しへ入る。道を整備したので今は入り口もわかりやすいが、以前は入り口を探すのにも苦労したものだ。木の階段を上がって進んでいくと、両側が切れ落ちた岩壁。切り通しの見本のようなものだ。いつ来ても七口こそが、鎌倉が鎌倉である証しと思ってしまうのは筆者だけだろうか。鎌倉駅からバスに乗って朝比奈バス停まで移動。朝夷奈切通しを歩き、巡礼古道から名越切通しへ向かうルート。県道から朝夷奈切通し方面に行く道に入り、横浜横須賀道路を潜(くぐ)り抜けて行くと、そこは800年の時空を超えた世界への入り口である。道はまっすぐではなくやや曲がりながら先へと通じている。両脇は崖のようになっている、まさに掘削した切通し。最初に小切通しという切通し。両脇を岩肌で囲まれ、今にも武者が出てくるような雰囲気がある。その先の市の境界線上にある峠には、大切通しと呼ばれるグッとくる切通しも出てくる。六浦と鎌倉幕府を結ぶこの道は、七口のなかでも物資を運ぶ最重要道だったようだ。六浦からは塩なども運んだ生活の道でありながら、防御の道でもあったので、切通しの上には敵を討つための平場が存在した。峠からは下りにかかる。道はわりとまっすぐで道幅も広い。これは鎌倉時代から年月を経た後、主に輸送を考えて広げられたように思える。三郎の滝へ出て、ようやく時代を下り現代の住宅地へと戻ってきた。その後、報国寺の手前から巡礼古道と呼ばれる、かつては杉本寺から逗子市の岩殿寺へ通じる古道から、名越切通しを通り鎌倉駅へと戻った。七口に代表される800年ほど前の過去と現在が隣り合わせに存在する鎌倉。過去と現在を行ったり来たりできる、まるでタイムマシンのような古都ではないか。
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江の島『カフェーマル』の看板猫、たろうくん。オリジナルグッズもたくさん。
今回訪れたのは言わずと知れた観光地・神奈川県藤沢市江ノ島。野良猫が多いことでも有名で、野良猫好きな私もよく訪れる場所です。車を停めてお店に急ぐ道中も野良猫がいないかとついつい目を光らせてしまいます。
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長谷駅からはじめる鎌倉・長谷・江ノ島さんぽ 〜見どころ満載の江ノ電沿線の古刹めぐり〜
鎌倉文学館を見て、高徳院、長谷寺、光則寺と、長谷の名刹を拝観したら江ノ電沿いの海岸線さんぽ。規模が大きく、見ごたえのある寺院が多いので、かなりの距離を歩くことになる。時間にも余裕をもって出かけたい。極楽寺から腰越までは江ノ電に乗るのも楽しい。
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藤沢市『鵠沼伏見稲荷神社』の看板猫、マイペースなコウタくん
今回訪れたのは神奈川県藤沢市。午前中の撮影を終え、近くに看板猫はいないかと探みると、有力な情報を入手したので早速向かってみることに。目指すは『鵠沼伏見稲荷神社』。神社に猫とは最高の組み合わせです。一体どんな看板猫が待っているのでしょう。
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「湘南サウンド」とは何なのか。裕次郎? TUBE? サザン? バブル前夜の音楽は「湘南」っぽかった?
『散歩の達人』2021年8月号では茅ケ崎のミュージシャンの話を音楽評論家・宮治さんに伺ったが、「湘南サウンド」と呼ばれる音楽は範囲が曖昧(そもそも湘南の範囲自体が曖昧)。そこには茅ケ崎以外のミュージシャンが含まれることも当然多い。
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音楽評論家・宮治淳一にきく、加山雄三とサザンを生んだ音楽の街・茅ケ崎と「湘南サウンド」の深い関係
今やサザンオールスターズが街の象徴の茅ケ崎。サザン以外にも加山雄三からSuchmosまで街に関わりの深いミュージシャンは非常に多い。茅ケ崎在住の音楽評論家にそのワケを聞いた。
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夫婦が二人三脚で作る、湘南の超ミニブロック「プラモブロック」の工場に潜入! 小さいパーツに詰まった楽しさ無限大
藤沢を拠点とする小さなブロックメーカーをご存じか。ブロックとはいっても、最小わずか2.5㎜角もの超ミニサイズの玩具ブロックだ。一体どんなもので、どんな人が作っているのか? 2020年末に完成した工場を訪ねた。
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茅ケ崎、平塚、藤沢、辻堂……湘南の街の文化を支える、地域密着本屋さん7選
茅ケ崎と平塚には、駅前に地元の本屋さんがある。どのお店も、長く店を構えている老舗だ。地元の発展とともに歴史を重ねた3軒それぞれの試行錯誤を紹介する。また、神奈川、東京、千葉の3都県に店を構える有隣堂は、2021年で創業111年。各店舗は、その土地に合わせた品揃えで、そこに暮らす人たちの生活を支えている。藤沢から平塚までの沿線にある4店舗それぞれの取り組みをご紹介。
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